杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

謎の空白時代

通勤電車で読み続けた立花隆『青春漂流』講談社文庫、1988年)をようやく読了した。本書は、スコラから1985年に単行本として刊行されたものの文庫版である。

面白かった。また、プロローグで立花が、三十代までを青春期に数えていいだろうと言っており、私自身がその「青春期」を終える時期に差し掛かっているという点からも興味深かった。

内容は、立花による、若くしてその業界で一角を担うまでになった11人へのインタビューである。11人の職業はさまざま。

・稲本 裕 (オーク・ヴィレッジ塗師
・古川 四郎(手づくりナイフ職人)
・村崎 太郎(猿まわし調教師)
・森安 常義(精肉職人)
・宮崎 学 (動物カメラマン)
・長沢 義明(フレーム・ビルダー)
・松原 英俊(鷹匠
・田崎 真也(ソムリエ)
・斎須 政雄(コック)
・冨田 潤 (染織家)
・吉野 金次(レコーディング・ミキサー)

皆それぞれ、通常の学校教育や職場慣習に馴染めず、落ちこぼれのようになりさまよう中で自らの生きる道を見つけ、その知見と技術をとことん磨いて一廉の人物になった点が共通している。

本のタイトルが示す通り、青春とは「漂流すること」だと思う。何かを追い求めて暗闇の中を走り続け、七転八倒し、その末にようやく蝋燭のような一点の小さな灯りを見つけ、それを燃やそうとさらに奮闘する――。立花はエピローグにおいて、弘法大師空海の、大学をドロップアウトし私度僧になってから平戸で遣唐使船に乗り込むまでの期間が「謎の空白時代」と言われることを引き合いに、誰にとっても青春は「謎の空白時代」だと言っている。その通りだと思う。

以下、11人のインタビュー記事から特に印象に残った箇所を紹介し、私自身の思いも述べたい。

◆稲本 裕(オーク・ヴィレッジ塗師

オーク・ヴィレッジは岐阜県高山市清見町にある手造り木工家具の工房。

稲本は高校から浪人の時期が全共闘運動の時代に重なり、その影響も受け、大学のあり方や自身の生き方にも疑問を抱いた。自分を表現する仕事を目指すため大学を諦め、アニメの学校に入るが、そこが創造性よりも学生を就職させることを第一に考える学校だったのでかえって就職への意欲が萎えてしまい、卒業後さらに別の道に行く。模索を続けた後、長野県の山奥に手作りで山小屋を造るメンバーになる。それが家具造りとオーク・ヴィレッジにつながっていく。

「自分たちが何をほんとに望んでいるのか。どう生きたいと思っているのか。自分に問いただしてみると、結局、好きなことをして生きたい、人間性が発揮できる生活をしたいというのにつきる。生活上の安楽なんかいらない。最低限度、飢え死にしないですめばいいんじゃないか」

この箇所には大いに頷いた。自分が全力を注いで生きられる道とは、結局は自分が好きなことをやっていく道以外にないと思う。普通に生きていれば、家族や学校や会社の方針に必ず影響を受ける。それが嫌だから、そこから脱して生きるための模索の期間がある。その末に見えてくるのは、やはり自分の感性に直結する「好きなこと」なのだと思う。

◆古川 四郎(手づくりナイフ職人)

実家は地元で知られた楽器店だったが、その従業員との結婚を親に反対され、駆け落ち同然で家を出る。ナイフ造りに道を見出し、勤めていた会社もやめてナイフ造りに賭ける決意をする。

「そのとき二十八歳でしてね、こう考えたんです。人間、三十歳を過ぎたら、人生の将来設計もたてられずに、職業をあれこれ変えてウロウロすべきではない。しかし、三十歳までは人生の試行錯誤期間なのだから、少しウロウロしてみたほうがいいのではないか。三十歳まであと二年ある。この二年間を思いきってナイフに賭けて、それがものになるかどうか試してみよう」

ナイフ職人でやっていける状況ではなかったがそのように考え、ナイフ造りの本場であるアメリカに借金までして渡航する。

先のことを必要以上に案じてしまうと何もできなくなってしまう。やりたいことがあっても、力がなく、先の見えない状況になることはある。それでも自分を信じて挑戦することが、かえって自信につながるのではないか。

◆村崎 太郎(猿まわし調教師)

伝統芸能である猿まわしの後継者になるよう父親に言われてその道に進んだ。村崎が自分で選んだ道ではなかったが、猿を調教していく過程のエピソードが面白かった。

特に、猿に対し、人間に決して抵抗しないようにするために行う「根切り」というのが興味深かった。激しい体罰を含むものだが、ようするに猿の抵抗心の「根っこ」を切ることであり、これが猿の調教で最も重要なところであるらしい。

しかし村崎は、そのような厳しい調教をして仕込んだ猿を死なせてしまう。深い悲しみに沈むが、その日は公演があったので人前に出て芸をしなくてはならなかった。しかし、泣きながらも一生懸命に務めたことで、村崎自身がガラリと変わった。人として持っていた甘えやためらいがなくなったのだ。立花はそれを、村崎自身の人生の「根切り」だったと書いている。

特に一般客を相手にする仕事をやっていくためには、仕事外のところで何があろうとまったく言い訳無用で務めなくてはならない。それがプロになる厳しさだと思う。また、自分で選んだ仕事だろうと何だろうと、決めた道を進む上では甘えや泣き言など言っていられない。

◆森安 常義(精肉職人)

この人は精肉職人として名人の腕を持っている。若い頃はやんちゃで、色んな店を渡り歩いたが、その中で出会った上司との話が印象的。

先輩が自分が食べるための肉を店から持ってこいと言い、森安は店の肉を盗んで持って行こうとする。しかしそれが警備員にバレてしまい、もみ合いになっているところへ上司がやってきて、その肉は自分がくれてやったのだから大丈夫だと言う。そして、肉はやる、お前はクビだと告げる。森安は泥棒をして店を去るのは嫌だったので、肉を店に返した。そして、次第にその上司に人間的に敬服していく。

「この人には負けたと思ったんですな。この人のためなら、なんでもできることをやったろうやないかという気持が出てきたんです」

その後、一生肉屋をやっていくと決め、猛勉強をするようになる。

心酔した人についていこうという考えから我が道を発見する人もいると思う。それは自主独立とは違うかも知れないが、自主独立すれば何でもいいというものでもない。森安の場合、それで名人の腕を持つに至ったのだからすごい。それにしても、ある突出した技術を持っている人の中には、森安のような、好きな相手に自分を丸ごと捧げるような人が少なくないような気がする。

ちなみに私がこの箇所が気になったのは、かつて自分にもそういう人がいたからだが、その人への心酔は幻滅に終わった。

◆宮崎 学(動物カメラマン)

小さな頃から山で動物や鳥が好きで、小学生ながら飼うのが難しいとされる野鳥を飼っていた。就職はしたものの大病を患って退職し、アルバイトをしながら動物の写真を撮り続けた。撮りためた写真が本に使われて出版されることになるが、二度目の大病に襲われる。死んでしまおうかと思うほど絶望するが、その中でも生きる意志を燃やそうとする。

「ここで死んだら犬死にだ。少なくともオレという人間が生きていたんだぞという爪跡だけでもこの世に残してから死にたい」

他にも色んな動機付けの要素を探して立ち直ろうとしたのだが、上の言葉が特に印象的だった。

表現行為をして生きていこうとする人の根底には、そういった思いがあるような気がする。生意気だが私も、書き物をして発表することの底にはそんな思いがある。それは爪跡とも、足跡とも言える。自分がたしかにこの世界に生きたという証を、人間は残したいのだと思う。

◆長沢 義明(フレーム・ビルダー)

自転車選手を目指していたが挫折し、自転車のフレーム・ビルダーを志すようになった。自転車においては走ることも作ることもイタリアが最高の国であると知り、現地に行って勉強しようと考える。しかし、日本にいてはイタリアのどこでどんな技術が身につけられるのか分からなかったので、とにかく現地に行ってしまおうと決心する。

「これというあてはないけど、行けば何とかなるだろうと。とにかく行ってみて、行きあたりバッタリ試してみようと思ったわけです。当たってくだけろですね」

私など海外旅行もろくにしたことがないので正直にすごいと思った。ただ、映画学校に入るために神奈川へやって来た時などは、これと似た気持ちが少しはあったかも知れない。

ある種の思い切りがなくては前へは進めない。今いる場所で励むことも大切だが、何かを追求しようとする上では決断力と行動力も必要だと思う。

◆松原 英俊鷹匠

鷹匠というのは珍しい職業だが、それまで出てきた人と違い、あまり迷い苦しんだり七転八倒したりせずその道に進み入ったように見えた。その意味では他の人よりも受けた感銘が薄かったのだが、自分の資質を見誤らなかったということではないだろうか。

ただ、鷹匠というのはあまり儲かる仕事ではないようだ。

生活は相変わらず楽ではない。楽ではないが充実している。自分が望んだ通りのライフスタイルを実現した。

好きなことをやろうとすると、経済的には必ずしも充実しないかも知れない。しかし、経済よりも精神の充実がある方が大切だろう。

◆田崎 真也(ソムリエ)

この人も、色んな仕事を経験したものの、そんなに葛藤することなくソムリエの道を見つけたように見える。しかしフレーム・ビルダーの長沢と同じく、ワインの本場のフランスで学ぶために、フランス語も話せないのに現地に旅立ったのがすごい。そしてワイン産地を回って蔵元を巡り、ワインの知識を身につけていく。しかし、田崎がその旅で得たものはもっと大きかった。

「そういうことにチャレンジして、それを自分の力でやりとげられたという自信が自分をほんとの意味で大人にしたと思います」

自分でやろうと決心したことをやり遂げると、揺るぎない自信が身につくと思う。逆に言えば、自信をつけたいならば、やろうとしたことを何があってもやり遂げなくてはならない。何者かになろうとして挑戦するなら、妥協したり中途半端にしたりしてはいけないのだ。

◆斎須 政雄(コック)

料理を志してホテルの調理場に入ったが、上下関係が厳しいところだったので三年で辞めた。

「料理のことなんて、何一つ覚えられなかったですね。それに、人間関係が封建的で、上司とか先輩は下のものに対して、絶対的な権力をもっていて、すぐに下の者をぶん殴る。下の者は黙ってそれに耐える。(略)料理の腕より、上の人にいかにうまく取り入るかで出世が決まる。だけど、ぼくはそういうのが嫌いで」

私のかつての職場でも上司が暴力をふるっていた。また、やはりそこでは覚えたことなどほとんどなかったと思っている。こういう場所に身を置いて、目指していた夢がつぶされてしまったら本当に不幸である。好きで始めた仕事すなわち「良縁」を、嫌な人間関係すなわち「悪縁」に駆逐されないよう、そんな環境から抜け出す決断も時には必要だと思う。

斎須はその後、若手にも色んな経験をさせてくれるレストランに入った。しかし、そこで作った「鶏の赤ワイン蒸し煮」が、客に出す前に味見してもらったシェフに無言でゴミ箱に捨てられてしまった。

「口惜しかったです。涙が出ました。(略)自分が今のシェフと同じ二十七歳になるまでに、必ずこの人よりいいコックになってみせる。絶対に負けるもんかと心の中で誓いました」

腕を上げていくためには負けじ魂も必要。私も、原稿をほとんど何も言われずに突き返されたことがあり、本当に口惜しかった。ちなみに今では、無言で却下するような先輩など所詮ぜんぜん大したことのない人で、言うべき言葉を持っていないから黙っているのだと思っている。いずれにせよ、自分は先輩よりも下でいいやなどと思っていては、いつまで経ってもその差は縮まらないだろう。

◆冨田 潤(染織家)

大学に入学したものの授業に興味がなく、やがて辞めてしまった。アルバイトをしながら「自分の生きていく道をつかみたい」と思い、模索した。

「自分の性格からして、何か手仕事がいい、板前でも大工でも何でもいい、これだと思うものにぶつかるまで何でもやってみようと思って、いろんなことをやりましたよ」

その後、染織の道を見出すのだが、そのためには色んなことをやってみる必要があったのだ。好きなものが簡単に見つかるとは限らない。手で何か作りたい、話を書きたい、人と接したい、など、目指すものが必ずしも具体的でない場合もあるだろう。そういう場合は冨田のように、これはと思うものにぶつかるまでやらなくてはならないのだ。青春とは七転八倒であると同時に暗中模索でもあると思う。

その後オーストラリアに渡り、さらにイギリスに渡って修行を続ける。イギリスでは美術学校の講師兼生徒として受け入れてもらい、設備も道具も自由に使わせてもらえた。そこで朝から晩まで織り機を占領し、あらゆる織り方を試してみた。しかしそれが度を超えたのか、学校当局からこれ以上糸を使わないでくれと言われた。

冨田は毎日朝八時になると校門のところで門が開くのを待っていたし、夜は、必ず閉門時間まで働いていて守衛に追いたてられるようにして外を出た。二年して、冨田が学校をやめるとき、守衛のおじさんがいった。
「お前が学校から出ていってくれて嬉しいよ。これで毎晩早く家に帰れる」

時間が経つのを忘れるほどのめり込むくらいじゃないと、徹底的に追求したとは言えない。それは、時に周りに迷惑をかけてしまうこともあるが…。一方で私が嫌いなのは、仕事に没頭し過ぎて周りを困らせることで、「今オレは充実している」などと悦に入る輩である。そういう人らは、迷惑をかけることに快感を抱き、ひいては迷惑行為を正当化しようとする。一種の自己陶酔である。私自身そのように、自分を虐める自分に酔っていた時期があった。

◆吉野 金次(レコーディング・ミキサー)

日本で初めてフリーのミキサーになった人だが、それがどれほどすごいことなのか私には分からない。ミキサーは、自分の感性を頼りに「音を作る」のだそうだが、その感性で選び取った音がミュージシャンに受け入れられないと、こっぴどくけなされた。しかし

どんなに周囲からけなされても、吉野は自分の感性に絶対の信を置いていた。

ミキサーとミュージシャンというと、やはりミュージシャンの方が上だと思うのに、すごい我の強さである。でもたしかに、一つの道を行くというのは、人から何と言われようと自分を信じることだと思う。

初任給は、一万六千八百円だった。毎月、給料の半分以上をレコードに注ぎこんだ。

食費を切り詰めた吉野はインスタントラーメンばかり食べて体調を崩してしまったそうだが、音楽に対する情熱があったので心は豊かだった。好きなことにはできる限り投資することも、我が道を往く上では大切だろう。

妥協のできない性格だから周囲の人とぶつかりまくり、会社では望まぬ部署への異動を言い渡され、それを機に退社した。

「もちろん、配属先の別の部署でおとなしく働いていれば、東芝にいられたんですよ。一サラリーマンとして生きていくだけでよいなら、そういう選択もあったでしょうが、それじゃ、オレは何のために生きているんだということですね」

とにかくフリーランスになるのが良いなどと考えるのは愚の骨頂と思うが、我慢し過ぎるのも考えものだろう。もちろん、吉野は自分の音楽に強い自信を持っていたのでそういう決断ができたのだ。何の基盤も自信もないのにフリーになってしまうくらいなら、望まぬ仕事に身をやつして潜伏するのもありだと思う。

 

立花のストーリーテリングの巧さもあって、11人ともとても面白く読んだ。11の人生を辿ってみて私が感じた大切なことは、好きなことをする、リスクを拒まない、迷ってもいいが決断するべき時は決断する、などだ。

その過程は試行錯誤だし、暗中模索だし、七転八倒でもある。それでも果敢に進むのが青春であり、人生なのだと思う。