杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「フリーにはたらく」ってなんだろう?

特別お題キャンペーン「#フリーにはたらく」に参加します。

フリーランス=自由ではない。

私は会社員です。フリーランスでも個人事業主でもありません。ですが、ゆくゆくは自分で事業を起こし、独立したいと考えています。そして、そのために独立の仕方や税金、年金、保険のことなどを学んで準備し、少しずつ行動に移しています。

準備を進める過程で、そうした問題に関する多くの本やネット記事を読んでいますが、読めば読むほど、フリーで生きることの厳しさや大変さを感じます。フリーランス=自由などという単純な式を鵜呑みにして甘い考えのまま独立してしまったら、きっと失敗する、ややもすると会社員よりも時間的にも経済的にも不自由な生活を送ることになる、という考えが強くなってきました。

フリーもいろいろ。会社員もいろいろ。

これまでに複数のフリーランス個人事業主に会いました。会社員だった頃から知っていて、その後フリーランスになった人もいました。私は上記のようにいずれは自分も一人で働きたい、という思いがあるので、その人たちに対し、フリーで生きることに関するいろんな質問を意識的にしてきました。

その結果、職種はさまざまではあるものの大半の人にある共通点があることがわかりました。それは、フリーランスとして生きる道を選んだ動機が、「会社員は自分には無理だから」とか「イヤだから」といったものだったことです。もちろん例外もあります。どうしてもやりたいことがあるから、それは会社員を続けていては無理だから独立する、という人もわずかですがいました。しかし多くの人が、組織の一員として働くのがイヤ、もっと言うと、人の言うことを聞いて生きることが我慢できない、という動機であるように思います。

一方、会社員をしていると、当然ながら多くの会社員に会います。その中には、会社員ではあるもののやりたい仕事をやって自己実現を果たし、毎日を精力的に送っている人がいます。逆に、どう見ても会社にいることが苦しそう、仕事への意欲も低いと思われるものの、恐らくは給料欲しさに会社にしがみつき、元気なく過ごしている人もいます。

「自由」を見出せるかどうか。

以上を踏まえると、「フリー(自由)にはたらく」というのは、本質的にはフリーランス個人事業主などの「立場」になることを意味するのではないと思います。やりたいことがあり、それを仕事にしている人はイキイキとしていて、さまざまな義務を背負いながらも、その仕事の中に「自由」を見出しています。ちなみにここで言う「自由」とは、他人に貢献して承認欲求を得たり自己実現欲求を満足させたり、生き甲斐を感じたりなどさまざまですが、仕事を楽しいと感じられる充足感を指します。

さて、逆に、やりたいこともやらず現状に不満を抱き、それを回避するように生きている人は、フリーランスであろうと会社員であろうと結局は自由になれず、働くことの醍醐味も得られないまま窮屈な思いをしているように感じます。

誤解のないように断っておきますが、人間は仕事を通して自己実現をしなくてはならないわけではありません。給料をもらうために会社にしがみついても、それこそ当人の自由です。世の中には「仕事を通した自己実現」をエサに社員に長時間労働サービス残業を求めるひどい会社が存在するようですが、私はここで、労働をめぐるそういう社会的な問題について言及しているわけではありません。会社の仕事には給料をもらうためだけの最小限の時間と労力を注ぎ、プライベートの趣味を思い切り楽しむ。そういう人生があったっていいですし、その人はひょっとしたら、趣味の中に生きがい、もっと言うと人生における「自由」を見出しているのかもしれません。それはそれで、いいことじゃないかと思います。

「自由」を目指して歩き続けられるかどうか。

あるいは、こんな話もあります。私はこれまで著名な経営者やアーティストの本や記事もたくさん読みましたが、その中には、満員電車に乗りたくないからフリーの道を選んだ、とか、人の言うことなんか聞きたくないから起業した、なんて人もいました。それでもビジネスを当てて成功したのだから、大したもんです。しかし、だったら現状への不満を動機としてそれを回避するようにフリーランス個人事業主になったっていいんじゃないかというと、私は、それは良いとも悪いとも言えません。

こういう話は、いわゆる「生存者バイアス」のような、その人と同じ結果にならなかった多くの人を無視した見方と判断を促す危険性があります。また私が思うに、そういう成功者たちは、始まり方はそうだったかも知れないけれど、自由に生きると決断した自分を貫くために、我慢のしどころではきちんと我慢をして(本人は我慢したとは思っていないかも知れませんが)、努力のしどころでは人の何倍も努力したでしょう。だから、現状への不満が動機でも構わない、逃げるようにフリーの道を選んでもいいのですが、その先にきちんと「自由」を発見し、それを見失うことなく歩き続けられるかどうかが大事ではないか。そんな風に思います。だから、不満からフリーの道に進むのは、良いとも悪いとも言えません。

仕事を通じて自由を得る。

いろいろと書きましたが、「フリーにはたらく」とは、突き詰めれば「仕事を通じて自由を得る」ということではないかと思います。会社という組織に縛られず、お金の問題にも縛られず、理不尽な上司やわがままなクライアントにも縛られることなく、働くことを通して、やりたいことを夢中でやるということ。立場とか地位とか外面の状態を指しているのではありません。内面の意識の在り方を指しています。

やりたいことは会社の外にあって、会社の仕事はそれをやりたいようにやるのに都合よくこなす、というのでもいいのではないでしょうか。

やりたいことをやるために「FREENANCE(フリーナンス)」などのサービスが有効なのであれば、利用しない手はないでしょう。お金のやりくりや取引相手との交渉がうまくいかず不自由な思いをすることほど、もったいなくて無駄なことはないと思います。