杉本純のブログ

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やってくれたら嬉しいこと、やってくれなきゃ困ること2

このブログで以前「やってくれたら嬉しいこと、やってくれなきゃ困ること」を書きましたが、あれはどちらかというと価値を「提供する側」への印象や見解でした。けれども最近、「提供される側」についても似たような印象を持ちました。

価値を提供される側、つまりお客さんですが、どうもその中にも「やってくれたら嬉しいこと」と「やってくれなきゃ困ること」を勘違いしている人がいるようで…。というのは、やってくれたら嬉しい=満足を、提供してくれないと困る、と思っている人がいるようなのです。

価値を提供する側は、頭脳や肉体の労働によって何らかの価値を生み出して提供するわけですが、それは、お金を払って提供される側からすると「やってくれなきゃ困ること」です。しかし、満足、つまり「やってくれたら嬉しいこと」ですが、これは「やってくれなきゃ困ること」ではありません。

分かりやすい例が(前回も使った)飲食店です。例えばラーメン屋でラーメンを食べる場合、それが本人が美味しいと感じるかどうかは前もって分かりません。前回は美味しかったけど今回は美味しくなかった、なんてこともあります。しかし、では仮に不味かったとしても、だからといって、満足してないから作り直してくれ、とか、金返せ、なんてことは言ってはならないはずです。いや…言うのは自由ですがまぁ普通は通らないでしょう。

上記は分かりやすい例えですが、サービス業的な仕事になるとこれが分かりにくくなり、勘違いするお客さんが増えるんです。つまり「満足がもらえないと困る」と考え、実際に要求してくる人がいるんです。

もちろん人間である以上、満足を求めるのは当然です。満足できるようあれこれ要求するのも当然だし、構いません。けれど満足できなかったからといって、俺を満足させられないお前は駄目な奴だ、というのは事実ではないし、金は払えない、というのも通らない、ということです。

そりゃ、提供する側は「必ずやご満足いただけるよう、精一杯サービスします」と言いますよ。「私たちはお客様にご満足を提供します」と言いますよ。しかしそれは宣伝文句に過ぎません。「満足を提供する」という「約束」ではなく「意志」に過ぎません。もし仮に「約束」にしちゃったら…その商売はまず間違いなく破綻を来すと思います。世の中にはいろんなタイプの人間…何をやっても満足しない人などもいるからです。

前も言いましたが、こういうことを言うと、冷めたつまらない奴だと思われるようです。けれど私は仕事をつまらなくしたいわけじゃなく、そういう勘違いが罷り通ってしまうと価値を提供する側も困っちゃいます、商売が破綻しちゃいます、と言っているんです。

簡単です。満足できなかったなら、次から断りゃいいんです。もちろん、次に頼む相手が必ず満足を提供してくれるとは限りませんよ。でも、そんなことを言うと本当に冷めてますね。こっちだって価値を提供する以上、満足してもらいたいと思ってます。だから満足を求めないでくれ、と言ってるんじゃないです。満足を求めているなら、価値を提供する側ときちんとコミュニケーションを取りましょうね、ということです。