杉本純のブログ

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「育てる」雑感

前提は「課題の分離」

以前、ある会社の社長にインタビューをした時、社員の育成についてその社長がこんな風に話していました。

「そもそも人を育てるなんておこがましい。その人が育つ機会になる仕事を与えて、見守ったり一緒に頑張ったりするしかできない」

私は、いいこと聞いたなぁと思いました。私自身、人材の育成については何度も考えたことがあり、時には悩んだりもしてきましたが、その社長の言葉はストンと肚に落ちた感じがしました。

アドラーの「課題の分離」じゃありませんが、育つのはあくまで本人であり、育てる側ではありません。育てる側は本人に育つ機会を提供することはできるけれども、「本人に代わって育つこと」はできません。本人が背負っている「育つ」という課題と、自分の「育てる」という課題は分離しなくてはならないのです。

つまり、「育てるぞ」といくら意気込んで頑張ってみたところで、本人が育つのとは別問題だということ。その社長が言った「おこがましい」は、「こうすれば育つだろう」と鞭を打ったり、おだてたりしても、思い通りになんてなりゃしない、思い上がっちゃいけない、という意味でしょう。

だから育てる側は、本人が自分の思い通りに育つなんて思わずに、本人の状態をよく観察し、効果があると思う機会をしつこく提供し続けるしかないのだろうと思います。キーワードは「しつこく」です。恐らく、効果があると思うことの大半は実際は効果がなく、効果が出るまでやり続けなくてはならないからです。