杉本純のブログ

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やってくれたら嬉しいこと、やってくれなきゃ困ること

仕事をしていて時々思うのが、多くのお客さんにとって「やってくれたら嬉しいこと」と「やってくれなきゃ困ること」があり、両者は別々なのだが、それに気づいていない人がけっこういるのではないかということだ。

例えば飲食店で、笑顔での接客や想像を超えるサービスなどの「おもてなし」をしてもらえたら、客は嬉しいだろう。メニューにない商品をくれた、丁寧に応対してくれた、笑顔がステキだった、などなど、これは「やってくれたら嬉しいこと」の部類に入ると思う。

一方で、「やってくれなきゃ困ること」がある。飲食店でいえば、注文を受けた商品を提供することであり、それに付随する安全・品質を保証することなども含まれると思う。提供者は、それらをきちんと提供することで金をもらうことができる。

以前、テレビで介護士が出て老人ホームでの仕事を紹介していて、介護はクリエイティブだ、と言っていた。認知症の入居者が自室に間違いなく戻れるようにするために、当人が好きなスポーツ選手のポスターを部屋の表に貼り、目をそちらに行かせるようにした、とのことだった。認知症入居者は、そのポスターを貼ってもらって以降、部屋を間違えることがなくなったという。

これは、観察し仮説を立てた上で実行に移したすばらしい行為で、まさにクリエイティブだと私は思った。

ただ、これは入居者からすれば、あくまで「やってくれたら嬉しいこと」であり、「やってくれなきゃ困ること」ではないと思う。介護の現場における「やってくれなきゃ困ること」は、契約内容に記されている各種介護サービスだろう。それを提供することで、事業者は金をもらうことができる。

「やってくれなきゃ困ること」は、提供する側にとっては義務だ。一方、「やってくれたら嬉しいこと」は、提供する側には必ずしも義務ではない。しかし、やってはならないわけでもなく、やる・やらないは自由だ。

こういう見解を述べると、冷めたつまらない奴だと言われる。しかし私は冷めているわけでも屁理屈を言いたいわけでもなくて、「やってくれたら嬉しいこと」をあたかも提供者の「義務」であるかのように言い、それを自ら実践するだけならまだしも、周りの人間に対し、お前も俺のようにやれ、などと言う人がけっこういるように思う。それだけでも嫌気が差すが、場合によっては長時間労働を強いられることもある。こうなるともううんざりだ。

もちろん、「やってくれたら嬉しいこと」をよく提供する事業者は、客から高く評価されることもあるだろう。場合によっては、新たな仕事の獲得につながるかもしれない。それは望ましいことに違いない。ただし「やってくれたら嬉しいこと」は客によって違う。愛情を注がれて喜ぶ客もいれば、値下げを喜ぶ客もいる。余計なことはしてくれない方が嬉しい客もいる。私は個人的に、誰にとっても嬉しいこととは「ストレスを軽くすること」だと基本的には考えている。