杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

宝物かごみ屑か

もう十年以上ライターをやっているので、取材メモは膨大な量が溜まっている。しかし先日、仕事机を大きく動かさなくてはならなかったので、引き出しに入れていた取材メモを思い切ってぜんぶシュレッダーにかけた。

用紙をシュレッダーに突っ込む時、過去に私が記した走り書きのメモの文面が見えて、懐かしい気持ちになった。取材相手の名前が書いてあり、聞いた話が単語やセンテンスにまとめられて並んでいる。それを見て、取材した相手の顔や話してくれたこと、取材場所となった部屋や工場の様子なども眼に浮かんできた。これまでずいぶんたくさんの取材をしてきたんだな、と思った。

膨大なメモは、私の仕事の足跡であり、思い出であり、宝物である。そう思うと、シュレッダーで裁断してしまうのはどこか哀しかった。思い出が一つずつズタズタに引き裂かれていくのが、むごいことのようにも思った。

しかし、私の仕事場所を圧迫していたのは事実であり、宝物といえど、お荷物になっていたのだ。だから、思い切って捨てた。

仕事の思い出はそれぞれ懐かしいが、過去を振り返って感慨に耽るより、新たな仕事をする方が大切である。膨大なメモはあのまま置いておいても恐らく二度と、いや、絶対に死ぬまで見返すことはなかった。一個一個が真剣に格闘したのを物語る貴重な記録には違いないが、無用の長物でもある。記事を作るために使われ、後に残されたメモは、単なるクズであり、もう要らないのだ。

新しい書き物へと進んでいかなくては。