杉本純のブログ

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努力したもん勝ち

いつか美輪明宏さんが、「人生はやったもん勝ち」と言っていた。そして、その後に「努力したもん勝ちなのよ」と付け加えていた。

「やったもん勝ち」などというと、特に考えがなくてもとにかくすばやく動いた奴が得をするという、どこか投機的な行為を肯定した言葉に聞こえるが、「努力したもん勝ち」を加えると、何だか納得できる。

やりたいことがあるなら実現するために努力をするべきだ。努力をする・しないは本人が選ぶことができるが、時間は決して取り戻せないので、やりたいことがあるなら迷いなく努力することを選ぶべき。後で悔いても遅い。

私は映画学校の時代にしばしば同級生から遊びに誘われたが、ほぼ例外なく断り続け、やがて杉本=誘っても来ないつまらない奴、という印象が固定していったように思う。当時の私は藝術家たらんとかなり鯱張っていて、学んでいる最中なのに遊ぶなど論外だ、みたいに考えていた。

これについては、ちょっと意識過剰で頑な過ぎた、もっと心に隙間風を吹かせても良かったと思っている。しかし、だからといって当時の私は、そのとき努力しなくては気が済まなかったからそうしたので、そんなに後悔はしていない。逆に、あのとき遊んでいた奴はけっきょく今では映画の道からも離れて何をしているか分からないので、物書きの方へ転じたとはいえ私の方が筋の通った生き方をしてきたんだという自負もある。

生意気だが、「努力したもん勝ち」というのは決して「勝ち」ではない。「勝ち」はあくまで結果であり、努力しようがするまいが過程は結果を約束しない。

考えようによっては、人生は一度しかないので若い時期に遊んだ方が得とも言える。けれども、一度しかないから努力する方が良いという理屈もまた成り立つだろう。

努力は孤独である。努力は本来、誰かに言われてするものではないし、努力している間に他人は遊んでいる。私は上記の経験から、あまりに意識的になってしまうのも考えものだと思うが、孤独に耐えて努力し続けることを大切にしたい。そしていつか「人生は努力したもん勝ち」と言う。