杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ユニークであること

空疎な現実、平凡な自分

三十代の頃に書いた小説「映画青年」は、万能感のような誇大妄想を持つ、映画の専門学校に行った青年が、脚本家兼映画監督になろうと頑張ったけれども芽が出そうにない自分を受け入れる、その過程での苦悩を描いた小説です。これは私小説であり、私自身が映画学校を卒業する間際に陥った心理状態を題材にしています。

主人公の青年は、自分は常に特別な人間でありたい、世界で最も才能があってユニークな人間でありたい、という願望を持っています。しかし夢は儚く潰え、ユニークでも才能があるわけでもない自分を受け入れなくてはならない苦悩を、理解者も共感者もいない孤独の中で味わうのです。

最近、フォン・フランツの『永遠の少年』(紀伊國屋書店、1982年)を読みましたが、もしかしたら私が書いた小説の主人公はこの「永遠の少年」に近いのではないか、と思いました。フランツの本は精読したわけではないので、どのていど主人公と同一性があるのか詳しくはわかりません。けれども、大人になれず現実に向き合うこともできない幼稚さを持つ点では、共通性を見出せると思いました。

人間はユニークである必要はありませんが、藝術を志す人などは逆に、食べなければ生きられないというくらいに、ユニークでなくてはならないと考えているだと思います。ユニークであるには努力が必要であり、それを継続発展させる必要もあるでしょう。それを実行して相応のユニークさを獲得できている分にはいいですが、努力すればユニークでいられるわけではありません。また、たとえ成功したとしても、その後も永遠にユニークでいることは不可能でしょう。人間はどこかで空疎な現実と平凡な自分を受け入れなくてはならないと思います。