杉本純のブログ

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心の弱さについて

二十代の頃、私は自我がかなり不安定になり、その結果、自信に満ちている人、人生をたくましく生きている人に強く惹かれ、心酔し、自分の心の拠り所にしていたことがあった。しかし、やがてその相手が自分の願望を叶えてくれるわけでもなく、私の内部の欠けている部分を満たしてくれるわけでもないことを知り、また実は本当に凄い人ではなく単なる自己陶酔家だったことにも気づき、ほどなく訣別した。

以来、私は誰かに心酔することはなくなったと自覚している。人間は結局、一人で生きていくしかなく、自分が足りないと感じていることは自らの力で獲得して満たさなくてはならない。誰かにすがれば満たされるなどということはない。仮に満たされたとしても、その相手がいなくなればまた欠如の状態に戻り、また誰かにすがろうとするだろう。

上記のような経験を持っているからか、不思議なことに、私は心の弱い人から頼りにされることがあり、いきなり人生の悩みを打ち明けられたり、助けを求められたりすることが少なくない。そういう場合、私は自分の経験を事実として提示し、そこから自身の見解を述べることはあるが、相手を助けられるなどとは考えておらず、深入りは決してしない。深入りしたら私の感情も入り混じってぐちゃぐちゃになり、泥沼化したあげく私も引きずり込まれるだろうことが分かっているからだ。

繊細さや弱さは、しばしば肯定的に受け止められる。藝術家は繊細な感性を使って美しいもの・心地よいものを探り当て、それを表現できる。力の弱い人は虐められたり惨めな思いをしたりするが、だから逆に往々にして他人の辛さが分かる。それは確かにすばらしいことだと思う。

一方、大胆さや強さは、しばしば否定的に受け止められる。政治家や企業の経営者などが思い切った施策を実行し、国民や社員から批判を受けることがある。勝者はその他大勢の敗者から羨ましがられ、妬まれ、恨まれる。これも、まあそりゃそうだろうと思う。

しかし生きていく以上、繊細さ・弱さが仇になることはあるし、大胆さ・強さが必要になることは必ずある。両方を備えていないと、この世界では生きていけない。心の弱さは貴重だし、大切だが、弱いばかりだとつぶされて進めない。強さも身につけ、なんとかバランスを保ちながら生きていかなくてはならないと私は思う。