杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

若くしてデビューできないこと

文藝誌や雑誌の古いバックナンバーを取り寄せて調べ物をすることがよくある。目当ての記事をコピーするのはもちろんだが、ついでにパラパラ捲ってみて面白い記事があれば、それもコピーするようにしている。

こないだコピーしたのは「en-taxi」vol.44(2015 spring)の「Talk Series 薄明鬼語 No.11」で、西村賢太真梨幸子の対談「ボードゲームと再現フィルムの小説法」である。タイトルからして、小説作法について得るものがあるのではないかと思ったのだ。

西村賢太私小説はいくつか読んだことがあるが、真梨幸子の作品は『殺人鬼フジコの衝動』だけを持っていてまだ読んでいない。

記事は全体的に面白かったのだが、「小説法」についてよりも、四十を過ぎて売れ出した二人が作家として売れる時期について語っているところが印象深かった。

西村 もし二十代で売れていたら、良くも悪くも違う方向に流されていたと思いますね。
真梨 そうですね。私のような性格だと、二十代で売れると大勘違いをして、四十前には社会から抹消されていた気がするんです。今は下積みのような期間を過ごすことができてよかったなと思いますね。
西村 書くものにしても、今僕が書いているような私小説は、二十代だとまったく板につかなかっただろうと思うんです。四十を過ぎてるからこそ、書いていることの軽みの中の重みが多少なりとも出てるんじゃないか、と。だから、私小説書きとしてはこの年で出発してよかったんだなと思ってます。
真梨 日本には、若ければ若いほどいいという風潮があると思うんです。賞に投稿してた頃、若い方が続々デビューしていて――私は三十代後半だったから、自分はもう小説家になんてなれるはずがないと絶望していたんです。ただ、最近は四十代、五十代で花を咲かせる方がいろんな分野で出てきて、ようやく日本も成熟してきたなと思いますね。

上記を読んで、まだ四十に達しない俺もこれからいけるんじゃないかという淡い期待を抱き、一方で、逆転サヨナラ満塁ホームランを打つような意気込みで小説を書き、新人賞に応募していた三十代中頃の自分が悲しく思い出された。二十代の頃も一時期神経衰弱だったが、あの時期も内心かなり切羽詰まっていた。これでデビューできなければ人生お終いだ、くらいに思っていた。

けっきょく新人賞応募作は完全なる惨敗に終わり、世の厳しさと自分の非力とを受け入れざるを得ず、鬱々たる気持ちで現実生活を続け、今に至っている。