杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

こだわりのほころび。

アラフォーになり、色んなことが相対化されてきたのを感じる。

こだわりがほころびてきたのである。以前は、俺は絶対、新人賞を取ってデビューしてやると鯱張っていた。その成功イメージは、さながらオセロで最後の一手で全部ひっくり返すような、あるいは野球の逆転満塁サヨナラホームランのようなもので、私はその極めて狭き門を通ろうとしていたのである。鯱張るのは、ある意味で当然だった。

しかし、仕事が忙しく、育児もして、まるで時間がない中、二度挑んだ新人賞は一次選考すら通らなかった。三度目の挑戦も作品を途中まで書いていたが、繰り返し押し寄せる義務の雪崩に呑み込まれてしまい、持続的に取り組むのが難しい状態に追いやられた。

けれども今、私はまた作品を書いている。いかなる義務の雪崩が来ようと吞まれてつぶされないような作品意図と構想ができているように感じる。

思うに、鯱張るから雪崩にやられるのである。純文学、私小説、新人賞、華々しいデビュー…こうしたものは、かつての私にとって「そうであらねばならない」ものであり、鯱張る主因になっていたと思う。それが、恐らくは年齢が重なってきたなどの理由によって、断念せざるを得なくなった。同時に「そうであらねばならないとは限らない」と相対化されてきた。

残ったのは、小説が好きだとか、こんな話を書いてみたい、といった素直な感情で、私を鯱張らせていた要素は消えつつあるように感じる。相対化されてきているのだ。