杉本純のブログ

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佐伯一麦と大庭みな子

佐伯一麦1984年、「木を接ぐ」で「海燕」新人文学賞を受賞して本格的なデビューを果たした。この時の新人賞の選考委員は瀬戸内寂聴(当時「晴美」)、中村眞一郎古井由吉三浦哲郎、そして大庭みな子である。

佐伯は大庭に対し、河北新報の連載エッセイで敬愛の意を表している。エッセイをまとめた『月を見あげて 第二集』(河北新報出版センター、2014年)の「浦島忌」で、佐伯は次のように述べている。

 私が、二十九年前に新人文学賞を戴いたときに、大庭さんは選考委員の一人だった。その作品は、未成の度合いがはげしいもので、受賞することが出来たのは、大庭さんが、不恰好で未整理な表現の奥にあった、作品のいのちを読み取ってくださったからであろう。それ以降も、文壇のパーティなどでお目にかかった折々に、新作への好意的な励ましを受け続けた。「今日は、あなたにそのことを伝えるためにわざわざ出てきたの」と尊敬する先輩作家に言われて、発奮しない者がいるはずがない。

私はこの箇所を読んで、いいなあと思った。ちなみに佐伯は「木を接ぐ」の一年前に、短篇「静かな熱」でかわさき文学賞に入選したが、その選者は敬愛していた八木義德だった。佐伯が作家道の中で受けた先達からの恩恵、羨ましい。

さて、実際に大庭は「木を接ぐ」をどう評したのだろう。受賞作と評を掲載した「海燕1984年11月号を見てみると、

(引用者注:「木を接ぐ」などの作は)まとまりのつかない、見きわめていないもの、見きわめられないものの中であがくエネルギーの初々しさが、次にくる時代の萠芽を感じさせる。
 分裂するものをそのまま受けとめて、器用に筋立てするのを拒否する文学性が、部分的にきらめいている。

などと大庭は書いている。まさに佐伯が「作品のいのちを読み取ってくださったからだろう」と書いている通りである。

ちなみに「浦島忌」というのは大庭の忌日であり、佐伯のエッセイでは七回忌の集いに参加した時の様子も紹介されている。そこでは瀬戸内寂聴献杯の挨拶をしたらしいが、上記の通り瀬戸内も「木を接ぐ」に受賞させた選考委員であった。