杉本純のブログ

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人間はサイヤ人ではない。

ライターの世界にはどうやらまだ「悶え苦しまなきゃ成長できない」式の精神論を展開する人がいるようだ。

私自身、実際に悶え苦しみ、歯を食いしばって取り組んで、その結果成長できたと思っている。しかし、悶え苦しめば良いものでもないし歯を食いしばれば良いわけでもなく、そこに日々の努力、つまり勉強が伴っていなくては成長などできない、というのが持論である。

ちと臭い話になるが、何かやり遂げたいことがあって、そこへ進む過程で壁にぶち当たり、苦しんだ経験というのは「人生の味」だと思う。それはそれで価値があることだが、それを価値だと感じられるのは本人だけであって、他人にはどうでもいいことである。私は自分自身が悶え苦しんだ経験を宝物だと思っているけれど、それは私自身が選んだことだから宝物だと思うのである。そして、そういう経験は他人に与えられるべきものではないと思っている。だから私は「悶え苦しまなきゃ成長できないぞ」と他人に言ったりしないのである。

それに先に述べた通り、努力(勉強)を伴わず、悶え苦しみさえすれば成長できるなどというのは迷信だろう。サイヤ人は自分の躰が痛めつけられ、その後復活したら強くなる。しかし人間はサイヤ人ではない。そういう都合のいい特性は備わっていないのである。

たしかに滅茶苦茶に忙しい時期を何とか耐え抜いて乗り越えると、ちょっと成長したような気になる。しかしそれは私の考えでは錯覚に過ぎない。繁忙期が過ぎて閑散期に入ってしまえば感覚が緩み、仕事のスピードも落ちてしまうのである。

だから本当に成長したいのであれば毎日勉強するしかない。日々、怠ることなく、地道な努力を積んでいくしかないと思う。