杉本純のブログ

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「無駄な努力」について

荒唐無稽な設定

三田紀房『インベスターZ』1巻(講談社、2013年)を読んでいます。投資をテーマとした漫画ですが、設定がまず可笑しい。

中一の主人公は、北海道にある日本一の進学校「道塾学園」に入学する。そこは創立130年の歴史を持ち、入学金も学費も全て無料。学校の諸費用は中高の各学年のトップである生徒6名による投資部が投資によって稼いでいる。投資部は130年の間、国が戦争をはじめとした社会の変化と景気の浮き沈みを味わってきた中で堂々と投資を継続し、巨額の資産を築き上げている。この荒唐無稽さ。読んでいて、どことなく「男塾」ぽいなぁと思いました。

第一話と第二話は主人公が投資部に入るまでを描いています。主人公は元々、野球部への入部を志望していましたが、投資部主将は、一流の野球選手になれるはずないのに野球部に入って頑張るのは無駄な努力だと喝破します。主人公はさらに、たとえ一流になれなくても一生懸命頑張ることに価値がある、と言うと、主将は「的外れなところで頑張ることに価値なんてない!」と言い放ちます。

その箇所を読み、漫画のストーリーとは別に「無駄な努力」について考えました。

無駄には自分で気づくしかない

「無駄な努力」については私も少々、経験を通じて見解があります。

いくら頑張ったってなんの意味もない、いわゆる「無駄な努力」が存在するのは、残念ながら厳然たる事実だと思います。私自身、思い返すと勉強やスポーツ、人間関係などでずいぶん無駄な努力をしました。それは言わば人生の「遠回り」であり、もちろん近道を通る方が良いに決まっているし、遠回りすることに高い価値があるだなどと言うつもりもありません。

けれども、その道が遠回りであることを知るには、当人がそのことに気づくしかないと思っていて、他人がいくら無駄だと諭したところで効果がないことが多いと感じています。人は存外、頑迷なのです。他人から言われて軌道修正するのが気に食わなかったり、恥だと思ったりするんでしょう。私もそうでした。

それでも、自分の考えを少しずつ相対化していって、努力の方法をいろいろと変えてみて、やったことのないやり方も試してみると、効果的なやり方が少しずつ分かってくる。そうしてやっと、それまで自分がやっていた努力が無駄だったと気づくのだと思います。他人からの助言に耳を傾けるようにもなる。

だから、努力を洗練させるにはやはりそれなりの試行錯誤、いうなれば無駄と失敗の蓄積は避けられないと思います。また、周囲に無駄な努力を強いてくる人がいたら、無駄に気づくことはなかなか難しいでしょう。頑迷なのは自分ばかりではありません。親や教師や先輩が頑迷であることも実に多いのです。