杉本純のブログ

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仕事に埋没してしまう人

もうずっと前のことになるが、ある人に、数週間休暇を取って、仕事をしない時間を過ごしてみてはどうか、と提案したことがある。その人は、そんなの冗談じゃない、といった様子で、実行を検討することなく私の案を却下してしまった。しかしもちろん私は本気だったのだ。

私の考えでは、その人は明らかに仕事に埋没していた。毎日遅くまで残業し、日中はよく居眠りしている。お客さん対応は常に後手後手で、トラブルがあってからしか改善策を考えられず、どんな策もその場しのぎの対症療法でしかない。後工程のメンバーへの指示出しはだいたいいつでもギリギリまで何も決まっていない状態で、ある時とつぜん、何の予告もなく指示を出してくるのでメンバーは面食らうことが多い。

それだけなら、単に仕事が遅くて周りの足を引っ張っている人、ということになるが、その人は、そういう自分を疑問視・問題視することすらしていなかった。私が「埋没している」と思ったのはそのためである。だから休暇を取れと言ったのだが、自分を疑問視・問題視していなかったから、私の言葉が意外だったのだろう。

思うに、仕事に埋没している人は、周囲の人も埋没させてしまう。そんなんではいけないよ、と周りがいくら助言しても自分を問題視していないので、響かないし考えもしない。人によっては、自分こそが正しくて文句を言ってくる奴の方がおかしいと思っているのもある。だから周囲は諦めるわけだが、この「諦める」というのが新たな埋没の第一歩である。「どうせ何を言っても変わらない」は、納得できないことへの妥協と問題の黙認につながり、まず前進が止まる。前進できない状況が常態化すると、やがてその状態への疑問と不安が消えてしまう。こうなるともうその人自身も立派な埋没状態である。こうして埋没が埋没を招くのだ。だから、埋没は害毒であると言える。

私の周囲にもかつて何人かの仕事埋没者がいて、私も埋没させられそうになった。私は、その人を説得することは諦めていたが、この状態は決して良い状態ではないと思う気持ちだけは持ち続けていた。つまり、前進もできないけれど埋没するのも食い止めている状態だったと思う。

長時間労働ワーカホリックなども、それを疑問視する視点がなければ「埋没」状態に違いない。ワーカホリックの人は、それはそれで幸福感を得ているようなので、本人さえ良いなら良いと言うしかないのだ。

仕事に埋没しないためには、仕事で関わっている世界の外を見てみるべきだと思う。外側を見ることで内側が相対化され、客体化できるようになる。すると外側との違いが見えてきて、疑問点も問題点も見つかってくるだろう。