杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ひとまず100日。

昨日、ブログ記事が100件に達した。毎日書いてきたから、ひとまず100日続けたことになる。

ブログネタを探すのはそんなに難しいことではないと思っている。私の場合、調べ物をすることが多いので、ほぼ毎日、何かしら発見があるし、執着心が強い性格ゆえに色んなことをけっこう深く考える。だから研究の断片およびエッセイを一日一つ出し続けることは難しくない。これまで、書くことがない! と焦ったのは数回だったと思う。けれどそういう場合も、けっきょく難なく書くことができた。

例えばその日に読んだ本や記事の感想。あるいは、書かれていることの周辺事情について知っていることがあれば、感想に加えて豆知識的にそういう事情を書くこともできる。次に映画。これも作品の背景や成立事情などを知っていればふくらますことができるだろう。

また私の場合、街や建物や施設を見るのが好きなので、休暇中に散歩したり、仕事で都心に出掛けたりすればネタが割と容易に見つかる。街の成り立ちとか土地の歴史に関する知識があれば、ちょっと出歩けばネタに出くわすはずである。

特に建物はすぐにネタになる。ユニークな意匠であったり構造であったり。戸建て住宅はプライバシーに関わってくるので難しいだろうが、マンションなどの集合住宅であればそれなりに配慮すれば大丈夫である。さらに、そうした建物ネタを周辺エリアの歴史の文脈の中で語れば面白い記事になる。

もう一つは自分の心情とかこだわりに関するネタである。私なら、例えばワナビに関することは実体験を交えて割と色んな角度から語れる。実際に、これまで何回もネタにしてきた。世の中を眺めておかしいと思うこと、共感すること、面白いと思ったことなどでもいいだろう。

このように考えてみると、ブログのネタなど見つからない方がおかしい。ネタが見つからないという人がいたら、その人は日常生活の中で意識的になる時間がない、ということではないか。平たく言えば、何も考えていないということだ。

物を書くという行為は、言うまでもなく何かに意識的になることから出発する。それは好奇心であってもいいし、怒りでも恨みでも何でもいいのである。難しいのは、それを他人が読んで面白いと思えるものにできるかどうかだ。それは相対的なことではあるが、私は、その点がまだ不十分だと思っている。ひとまず100日書いたので、これからはそのあたりをさらに強く意識していこうと考えている。