杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

こじらせワナビの回顧3

テレビ番組を通して知ったのだが、私は世代的にはとても不遇な人間であるらしい。いわゆる「アラフォー・クライシス」とか「7040問題」とかいう課題に直面しているようだ。そういう実感はけっこうある。

私はいわゆる就職氷河期世代である。大学を卒業してから専門学校に入ったので、同世代の人よりも三年遅れて社会に出ている。恥ずかしながらろくに就職活動をしようとしなかったこともあって(これは私自身が青春不完全燃焼者だったことに原因がある)、2005年の頃の就職状況については実感がない。

社会に出てからの私の生活たるや、いずれどこかで詳しく書こうと思っているが、けっこう凄惨なものであった。仕事があるだけマシだったと言わなくてはならないが、毎朝起きると、外は朝陽が降り注いでいるのに頭の中は塗りつぶしたように真っ黒という状態。しかしそれはいわゆる業界の底辺のような場所で這いつくばっていたということで、氷河期とか世代とかとはあまり関係がない。

クライシスを抜け出すための大きなキーワードの一つは「自己肯定感」であるらしい。しかし少なくとも当時の私は、自分の実力と未来を信じる力などは持てていなかった。俺なんかどうしたってこの先うまく行きっこないという卑屈な意識を持っていたと思う。自己肯定感の低さは、かなり根深いものだったのだ。まあ面白いこともまったくないわけではなかったので、能天気にへらへら笑いながら過ごしていたが。。今思うと、ヒジョーに馬鹿な奴だったと思う。

私は過去に数度、小説の新人賞に応募した。新人賞は言うなれば、「自己肯定感」を得るための究極の果実であった。しかし、その果実をもぎ取ろうと必死になればなるほど面白い小説が書けなくなり、当然のごとく落選したのだ。

私の挫折感は形を変えつつ蓄積され、お先真っ暗で自暴自棄になりかけた時期もあった。実を言うと、今も大して状況は変わっていない。

しかし、ブログを毎日書き、小説集の準備なども進めてきて、少しずつ意識が変わってきているのを感じる。自分の過去の作品と向き合ってみたら、自分はこれだけの作品を書いてきたじゃないかと、ちょっぴりだが自己肯定感のようなものが芽生えてきている。こうすればこの作品はもっと面白くなるぞというアイデアも出てくるようになったのだ。

ワナビはこじらせてしまうと自己肯定感を得づらくなる。ブログを毎日書いて自分と向き合い、過去の作品の修正などに取り組んでみるといいかもしれない。

ワナビではなく、自己肯定感を持ちづらいアラフォーの人も、ブログや私小説に取り組んでみると、けっこう効果があるのではないか。