杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

鉄は熱いうちに打て。しかし…

以前ある先輩ライターと話していた時、年下の若いライターをどう育てるか、という話題になって、先輩が、それはかなり難しいと言い、続けてこんなことを言った。

「そもそも、彼らに自ら成長しようという意志があるのかどうかが疑問」

この言葉に私は強く共感したのだ。

これまで年下のライターに指導したことは何度もあるのだが、残念ながらうまいこと育ってくれたとは思えない。それは、ライターという職種がその仕事柄、教える側と教えられる側が徒弟制度のような関係になってぴったりくっつき、巨細にわたって手取り足取り指導しないことには育成が難しいということもあるのだが、先輩の言ったことが示すとおり、そもそも若手の(私は実はこの「若手」という言葉が嫌いで、普段は20から30歳代前半くらいの人と言っているが、ここではまとめて「若手」と書く)ライターに「成長したい」という強い意志がないと難しいからだと思っている。そういう意志がない、ないしはないとしか思えない人があまりに多いのである。逆に、育つ人は、放っておいても育つのである。

「鉄は熱いうちに打て」というが、私が出会う若手のライターの多くはすでに熱くなどなく、むしろ冷めてカチカチに固まっている印象を受ける。意欲がなく、積極性が感じられない。こういう状態で、力を伸ばしてやろうとして打ったら、伸びるどころが折れてしまうのである。現に、厳しい先輩から厳しい指導を受けてライターを辞めてしまった若手は少なくない。

まあ最近は体育会系の暴力的な指導がニュースになって問題になっているが、厳しい先輩の厳しい指導が悪いとは私には言い切れない。暴力はもってのほかだが、やはり「鉄は熱いうちに」打たなくてはならないと思う。それは決して、優しい指導ばかりではないはずだ。

私が見たところ、若手のライター、ないしライター志望者の大半は「ちょっと文章を書いてみたい」と考えている人である。言うなれば、クリエイティブの世界がカッコよく、輝いて見えていて、そこに憧れを抱いている状態。

しかしあまり勉強している気配はなく、本も雑誌もろくに読んでいない。ただ書きたい書きたいとは思っているようで、やたらと自己主張をしてくるし、我が強くて譲らない部分がある。自己主張をするのも我が強いのもけっこうなのだが、じゃあ自分なりの文章観や文体を持っていて、先輩すら「おぉ〜」とうならせる力があるのかというと、ない。

恐らく若手には若手の言い分があるのだろう。体育会系の熱血指導がひどい結果を生んできた、という事実も背景にはあるのだろうが、いずれにせよ若手の多くはまず知識が欠けているし、文法を逸脱した文章を書くし、語彙も乏しい。それ以前に、取材対象にろくに関心を抱いていない場合すらある。これだとまともに素材収集できないわけで、優れた文章を書く以前の問題になる。

それに自分ではろくすっぽ考えも調べもせず、すぐ年上に答えを求める。「私はこう思うのですが先輩はどうでしょう?」と見解を聞くのではなく、何もせずいきなり正解を要求する人がいる。ライターの仕事は、立花隆が言うように「一般論が成立しない世界」であり、これが正しいというやり方はないが、そういう常識的なことすらわかっていないようだ。

まあ日常的に本を読んでいない時点でほぼ絶望的だと私は思うが、ネット上のコンテンツなどにはやたら詳しいからすごい。もう一つ感心するのは、けっこうロジカルに物事を考える力があることだ。私が若手の頃はまだ体育会系の空気がライターの世界にも色濃くあり(あくまで私の経験の範囲で)、正しい・正しくないとは関係なしに年上の言うことに従うところがあった。ロジカルシンキングは今や広く重要視されているので、例えば企業を顧客にしてライターをやっていく上では有効なスキルだと思う。その意味では若手は有望かも知れない。しかし文章を書かせてみると、これが途端に骨組みの弱い、贅肉のついた物を出してくるから不思議である。書く話が漠然としていて、かつ冗長なのだ。

けれども趨勢として、今後はそういうライターが増えていくだけでなく、活躍するようになっていくのも避けられない気がする。ただ、世の中がどんな風に変わろうが、自分の内部に「書くべき題材」を持っていないライターは、一時期活躍できたとしても、いずれ世の流れに飲み込まれて消えていくだろうと思う。