杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

書くものがあるかどうか

現役のライターや、かつてライターをやって現在は編集者になっている人などと話していると、よく出る話題がある。お前はこれからどうしたいのか、ライターをやっている現在の立場をどう変えていきたいか、といった話題だ。つまりキャリアプランに関することである。

これは同業の者同士でやはり気になるところで、聞く側も話す側も、自分の考えや計画を相手のそれと比べてみて自分の位置を測ったり、自分の方向性は間違っていないかどうかを確認したりしているのだろうと思われる。人間として、それは当然だろうと思う。

私は物書きとして生きていきたいと思っていて、それを隠してもいない。視野に入れている分野や、作品の内容についても、話す時には話す。一方、他のライターや元ライターがどう考えているかを聞くと、けっこう不安を抱えている人が少なくないんだなぁと感じる。

媒体も分野もこだわらず何でも引き受けて何でも書きます、というマルチライター(私が勝手にそう呼んでいる)は、若いうちは使い勝手が良くて編集者などから重宝されるだろう。しかし年齢が重なってくると、体力的にも精神的にも段々そうはいかなくなってくる。やはり多くの人が、年齢と共に経験と知見が身に付いてきて、自分は別のところへ行きたい、と思うようになるものだと思う。四十、五十歳になってまでマルチライターをやっていて楽しい、などという人はあまり多くないのではないか。それがフリーランスなどとなるとなおさらで、いるとしたら、小遣い稼ぎでライターをやっている主婦とかそういう人だと思う。

それで多くの人は、この場所ではないどこかへ進みたいと思う。その進路として考えられるのは恐らく大きく二つ、一つは専門分野の知識を持つ専門ライターで、もう一つは編集者だ。

専門ライターは、例えば金融とか不動産とか建築とかITとか、ある分野についての知見を集中的に蓄積していて、若いマルチライターよりは突っ込んだ質問ができたり、媒体ごとの性格もよく知っていて文章もそれに合わせて書くことができる、といったことが強みになると思う。この強みがあるからこそ、仕事の単価を高く設定できる。

編集者になるのは、言うなればそれまでライターとして発注を受ける側だったところから、こんどは別のライターに発注するようになるということ。単一の取材や記事を担当するところから雑誌なり書籍なりを全ページにわたり見る立場になって、その制作の進行管理やライター、デザイナーへのクリエイティブ業務の発注を行うようになる。これはその媒体の方針や性格への理解と共に、クリエイターとコミュニケーションを取りながら制作を進めていく能力が求められ、それが強みになる。雑誌や書籍にかける制作費が当人のギャラに反映され、それは記事を一つ作るライターやデザイナーが受け取る単価とは桁違いになる場合もある。

マルチライターを卒業した多くの人はだいたい、この二つのどちらかへ移行するだろう。なおマルチライター、専門ライター、編集者はそれぞれ、会社勤めかフリーランスかという区別もできるが、単に会社勤めからフリーランスになっただけではステップアップをしたとは言えないと思う。

もう一つ、別の道があるとすれば、それはライターとは別の道へ転向することだ。私が知るある会社勤めの元マルチライターは、転職して企業の広報関係の仕事に就いた。ライターの仕事を通して広報の業務にも関わっていたので、そちらへ移行したことになる。ライターとして関わる仕事に隣接する業務に進路を見出すということで、そういう人も少なくない。ただし、これがライターという仕事からのステップアップかというと、私にはよく分からない。収入が上がれば、まぁステップアップと言って差し支えないだろう。

さて物書きになる道は上記のどれに該当するのかというと、私の考えでは「ライターとは別の道への転向」になる。ライター業務を通してインタビューや文章の術を覚え、それを自らが書きたいと思う題材を書くのに活用すること。そんな風に書くと、それは専門ライターと同じではないかとも思えるのだが、少なくとも私は専門ライターと物書きは明確に別の仕事だと思っている。専門ライターは、専門分野の知見を持ってはいるが、基本的には注文を受けて仕事をする人だから。

ただ、物書きでも専門ライターでも、「これ!」という自分の好きな分野やテーマや題材があり、それをこれから先ずっと、時間をかけて追求していきたいという情熱が必要なのは同じだと思う。それは多分、編集者にも求められるし、ライターではない仕事に転向する場合でも必要なんじゃないか。時間と体力を切り売りするようなマルチライターから一歩前へ進むには、自分がどうしてもやりたいこと、書くものがあるかどうかが問われると思う。