2016年9月15日の毎日新聞夕刊に佐伯一麦の取材記事「私の出発点」が載っている。取材記者は鶴谷真という神戸出身の人である。
この記事によると、佐伯は五歳の頃に近所の未成年者から性的暴行を受けた。『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫、2005年)の二瓶浩明による年譜にはこのことが「幼児期」としか書かれていないので、私はこれまで暴行が具体的にいつのことなのかがわからなかった。
「私の出発点」はまさに『ショート・サーキット』をめぐるもので、記事には佐伯はこの作品によって「初めて作品で自己認識できた」と書かれている。全体に、ちょっと捉えどころのない文章になっているのだが、察するに、肉体労働に没頭することで自分を忘却し、もって自分を相対化した、といった意味ではないかと思う(『ショート・サーキット』は配電工の話である)。
佐伯は性的暴行を受けた後、鏡に映った自分を見てコイツは誰だ? と思ったという。そしてその経験が、トラウマではないものの小説を書く原点だとも言っている。
もし本当に暴行が原点だとすれば、やはり佐伯にとって肉体労働は自分を忘却の彼方に追いやる手段だったのではいか。意図していたかどうかは別として、少なくとも結果としてそういう役割を果たしたのだと思う。そして、作品はその記録だったのであろう。『ア・ルース・ボーイ』にもそういう面はあるし、『鉄塔家族』では労働の代わりに仙台の自然の風物に自分を没入させたようにも見える。
『ショート・サーキット』は野間文芸新人賞を受賞し、佐伯はその知らせを工場で残業している時に聞いたという。また、同作はその前に芥川賞候補になっており、しかし受賞はしていない。この時に受賞したのは辻原登の「村の名前」である。