杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

お金のはなし14 「三つの資本」

大切なのは健康と人間関係

あるネット記事で、人間の幸福には「三つの資本」が関わっていると言われていました。「三つの資本」とは、金融資産(お金)、人的資本(能力や健康など)、社会資本(人間関係など)のこと。当人の幸福度は、各資本がそれぞれどれだけ豊かか、あるいはそのバランスが深く関わる、といったことが紹介されていました。

ちなみにこの「三つの資本」は、橘玲の著書『幸福の「資本論」―あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社、2017年)に書かれているらしいです。未読なので、こんど読んでみたいですね。

仕事ができてお金はあるけど友達がいなくて孤独、お金はあるけど働きすぎで体を壊した、などはバランスが悪く幸福度が低い状態ですが、お金はないけど愛のある家庭、貧乏だけど元気で毎日楽しく生きている、などはバランスは悪いけれども幸福度が高い状態かと思います。さまざまなパターンがありますが、総じて、お金の多寡は幸福度に必ずしも比例しないものの、人間関係の豊かさや健康状態は幸福にほぼ比例するのではないかと思うくらい強く影響すると感じます。

そう考えると、お金を得るために時間と労力をかけまくるのは愚かなことと言えそうです。

コツコツドカン

結実もあれば崩壊も

三田紀房『インベスターZ』10巻(講談社、2015年)はFXによる投資対決が描かれています。FXとは外国為替証拠金取引のことで、円とドルを交換するなど、要するに通貨を交換して行う取引です。久しく名のみ聞いていただけで知らなかったですが、『インベスターZ』でよくわかりました。『インベスターZ』は投資の世界を描く漫画ですが、お金や経済の歴史の勉強になります。

さて、このFXの世界に「コツコツドカン」という用語があるそうです。通貨交換で少しずつ利益を得たあと、一度の取引で大きな損失を出してそれまでも利益をぜんぶ失ってしまうことを指すらしい。コツコツ積み上げてきたものがドカンと崩壊する、といったニュアンスでしょうか。

その言葉をようつべのビジネス動画で初めて知ったのですが、私は、コツコツやってきたことはいつかドカンと実るという思いがありました。ビジネスや作品づくりなども、コツコツとやってきた努力が大きく実ることはよくあるからです。蛍雪の功で出世するとか。

しかし考えてみれば、それまで長年にわたりコツコツと信頼を積み上げてきた会社が、たった一つのコンプライアンス違反で一瞬にして評価を落としてしまうのも、ニュースなどでしばしば目にすることです。積み上げたものが一発で崩壊することは、実はよくある。

崩壊の方はもちろん嫌ですが、『インベスターZ』ではFXはゲームだと言っています。ドカンするのも一興という酔狂な人には向いている取引なのかも。

そういえば以前、会社の同僚が「友人がFXで400万すった」と言っていました。

情動感染と自己開示

感情は伝染する。は本当らしい

SixTONESがMCをしているEテレの「バリューの真実」をたまに見ています。先日は「トリセツ 気まずい対処法」というタイトルで、言葉の通り、学校などで他人と気まずい雰囲気になった時の心理について、解説と対処法が面白く紹介されていました。

公認心理師の小高千枝が解説していた中に「情動感染」と「自己開示」というのがあり、面白いなぁと思いました。

「情動感染」とは、その人が抱いた感情が周囲の人に伝染していくことで、他人と二人でいる時に自分が話しづらくて気まずい思いをしていると、その気まずさは相手にも伝染してしまうそうです。

私は広告営業をしていた時、会社の上司から、自分が相手に抱いている思いと相手が自分に抱いている思いは同じだ、と言われました。表面だけ取り繕って笑顔でいても、心の中で嫌っていたりすると、相手も同じように表面的には優しくても実は嫌っている、と。

へえ、そういうもんかなぁとその時は思いましたが、もしかしたらそれは情動感染なのかもしれません。また、ライターとして取材をする時、こちらが緊張していると相手も同じように緊張してしまうのは、これまで何度か経験したことがありました。恐らくこれも、情動感染なのでしょう。

相手も自分と同じ感情を持つことは正確には確認できないし、本当にある現象なのか疑わしいと思っていましたが、学問的な裏付けがある言葉を与えられた思いがしています。

もう一つの「自己開示」は、相手にありのままの自分を曝け出すことで、小高先生は特に弱さや駄目なところを開示するのはコミュニケーションをとる上で大切なことだと言っていました。そうした辺りは、私はいま吉田尚記の『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』(太田出版、2015年)というコミュニケーションに関する本を読んでいるので、なるほどと思うところがありました。

ちなみに、『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』は「気まずさ」という敵をどうやって倒すか、という課題をゲームのように考える内容で、面白いです。

ゴダール雑感

語り継がれることはないと思う

ジャン=リュック・ゴダールが死にました。91歳。久しく名を聞かなかった監督でした。ジャン=ポール・ベルモンドが死んだのが昨年で、ヌーベルバーグの代名詞と思っている『勝手にしやがれ』の主演に続き、監督もいなくなりました。

ヌーベルバーグといえばトリュフォーもいて、私はもちろんトリュフォーにもゴダールにも会ったことがありませんが、思い出はいくつかあります。

私が通った映画学校の、たしか同級生だった人が、卒業後のある時期に、とつぜん思い立って渡仏してトリュフォーの墓を訪ねた、といった文章を学校のブログに寄稿していたのを覚えています。

また、映画学校ではその昔、地域の人も無料で招待して名作を観せる「土曜上映会」というイベントが開催されていました。映画関係者をゲストに呼ぶこともあった面白いイベントでしたが、ゲストに誰を呼ぶかについて意見を出し合う会議で、私はゴダールの名を挙げたことがあります。むろん即却下でしたが、べつに私はゴダールに会いたかったわけではなく、単にネームバリューのある人を挙げただけでした。

私が一年生の頃にお世話になったゼミの講師は、最も好きな映画は『勝手にしやがれ』だと言っていました。私は『勝手にしやがれ』を理解できず、面白いとも思わなかったので、好きだと聞いて戸惑ったのを覚えています。その頃の私は、玄人が良いと言う作品は自分も良いと思わなくてはならない、と思い込んでいました。

映画学校以外でゴダールトリュフォーの名を聞いたことはほぼありません。これからも恐らくないでしょう。ヌーベルバーグの作品や監督たちに語り継がれる価値があるかというと、映画史的にはあるかもしれませんが、面白い作品として語られることなどないと私は思っています。

時間は命

三田紀房『インベスターZ』の10巻(講談社、2015年)に「時間とは、命」と書かれていました。

主人公の知人の女子中学生の姉が、DMMへの就職を決め、その理由と背景を友人に話す場面。自分は資本家、言い換えると投資家になると言い、20歳代の自分たちが社会に投資できる資本は何か、それは時間しかない、と話す。さらに、では時間とは何かというと、「時間とは、命よ」と話す。

友人は姉の生き方と考え方には懐疑的ですが、姉の方は確信を持っています。というのは、それまでの就活では納得できないことが多く、投資をしている中学生の妹に刺激されたりして、少しでもいい会社に入ることが大切だという就活の従来の考え方に変化が起きていたからです。そして、ただの労働者はラットレースのラットに過ぎず、ただ働かされ続け、しかも役員などにまで出世できる人はごくわずかで、実はとてもリスクの大きい生き方だという、ロバート・キヨサキのようなことを言います。

時間は命だという考え方はその通りだと私は思っています。つまり時間ほど大切なものはないわけで、これをそう簡単に他人に奪われてはいけません。

図書館にて

小説の創作に取り組んでいます。時間ができた日は図書館に行って、一隅の勉強席を使い、ノートを開いて創作ノートに小説の設定、すなわち小説世界について書き込んでいます。

小説を「書く」段階になると、恐らく自宅で原稿に向かって黙々と書くのが良いのでしょうけれど、設定を固める「創る」段階ではなるべく色んな情報に触れ、頭を遊ばせるのが良いと考え、図書館で色んな本を読みながら考えることにしています。それは家でもできるのですが、家だとネット環境が整っているため、その刺激から小説以外のことを考え始めてしまうことが多いので、どうも駄目です。

図書館の机で数時間取り組むと、世界の一端が形作られ、小説の設定が少しずつですができあがっていきます。世界建設のスピードをもうちょっと早めたい気持ちもありますが、これは小説を書き上げて提出する〆切がないことが原因だろうと思うので、やがて必要に迫られて上っていくだろうと思っています。一方で、いま取り組んでいる世界はただ一篇を書き上げるために創っているのではないため、時間をかけてもいいと感じています。プロを目指す上では悠長に過ぎるのかもしれませんが、性急に取り組んだ結果が素人の域を出ていない今なので、自分の納得できるやり方で取り組むのをまずは第一とします。

『一私小説書きの日乗』シリーズ各書の範囲

西村賢太の『一私小説書きの日乗』シリーズが西村の人生をどれほど記録しているのかが気になり、まとめてみました。ポイントは各書の記録の範囲です。

タイトル 出版社 発行年月 期間 備考
『一私小説書きの日乗』 文藝春秋 2013年3月 2011.3.7-2012.5.27 のち角川文庫(2014年10月)
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』 KADOKAWA 2013年12月 2012.5.28-2013.5.20 のち角川文庫(2022年5月)
『一私小説書きの日乗 野性の章』 KADOKAWA 2014年11月 2013.5.21-2014.6.19  
『一私小説書きの日乗 遥道の章』 KADOKAWA 2016年5月 2014.6.20-2015.6.19  
『一私小説書きの日乗 不屈の章』 KADOKAWA 2017年5月 2015.6.20-2016.6.20  
『一私小説書きの日乗 新起の章』 本の雑誌社 2018年11月 2016.6.21-2018-6.17  
『一私小説書きの日乗 堅忍の章』 本の雑誌社 2021年3月 2018.6.19-2020.6.9  

一冊目の『一私小説書きの日乗』が2011年から始まり、現時点では最後の『一私小説書きの日乗 堅忍の章』が2020年。そして『堅忍の章』以降も「日乗」は「本の雑誌」で書き継がれていたので、55年の人生の五分の一以上は記録されていることなります。

本の雑誌」のツイートを見ると、「日乗」はその後、2022年3月号の「這進の章」19回をもって最終回になったようです。「這進の章」は、いつか単行本化されるのでしょうか。

ちなみに「日乗」は一日も欠かさず継続されたわけではなく、抜けている日もあるので、完全ではありません。とはいえ、このブログに前にも書いた通り、「日乗」は貴重な記録というべきだと思います。

「日乗」以前の人生についてはすでに調べた人がおり、「西村賢太 年譜」で検索すれば出てきます。