杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

漫画家になるのは難しい

ファーストペンギン

三田紀房『インベスターZ』は巻末に特別記事が掲載されています。あまり読まないのですが、9巻(講談社、2015年)は三田先生と楽天三木谷社長の対談「ビジネスの荒海を泳ぎきる方法。」が載っていて、面白そうだったので読みました。

対談の主題は「ファーストペンギン」です。ファーストペンギンとは、氷河の上にいるペンギンの群れの中で最初に海に飛び込むペンギンのことで、転じて、新しいことに最初に取り組む人のことをいいます。勇気が必要で、リスクを取らなくてはならないものの、うまくいけば海中の魚をもっとも多く、自由に獲得することができます。「インベスターZ」の過去の巻にも登場していた言葉です。

三木谷がインターネットの世界に飛び込んだのは、「魚がたくさん泳いでいるのが見えたから」とのこと。自分が仕事を始めるに際し、買い手の存在を予め考慮していたことになります。実際、「まず買い手を見つける」のはビジネスを始める上で極めて重要であるらしいです。すごいというか、なんというか…。私は二十代の頃は藝術家になるのを夢見て藝術ばかりやっていました。実業家になる人は思考というか、発想そのものがぜんぜん違うんだな、と思った次第。

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対立と和解

面白かったのは、三田先生が「世間が思っているほど漫画家になるのは難しくない」と言っていたことです。先生が言うには、面白い漫画とは「対立と和解」が描かれているもので、世の面白いストーリーの九割以上は対立と和解であるらしい。恐らく、その通りだと思います。

ところが、やはり誰でも漫画家になれるわけではないそうで、「みんな自分の描きたいものがありますから、どうしてもそういう基本のセオリーより、自分のやりたいことを優先してしまいがち」と語っています。その上で、「自分の描きたいものと、面白い漫画の『型』のようなものと折り合いをどうつけるかは難しいところ」と話す。これも恐らくその通りで…いや、だから漫画家になるのは難しいんでしょう。世間が思っている通りじゃないですかと。。

あんまり自分というものを大事にしすぎて、そればっかり曲げないようにしているよりは、自分の個性から生み出されるものを、世の中で求められている形に加工する技術を持っている方が、意外と生き続けられるかもしれません。

藝術ばかりやっていた私は、自分を大事にしすぎていた、ということか。

創作雑記28 「書けない」

日本映画学校では実習制作を多く体験しました。制作の際、学生たちはそれぞれシナリオを書いてゼミ内で回し読みをし、映画化したい作品を投票形式で決めていました。

中にはシナリオを出さない学生がいて、ゼミ講師が理由を問うと、多くの学生が「書けない」と答えていました。すると講師は呆れて、「何が書けないだ! そんなのは大作家先生だけが口にしていい言葉だ!」などと言って笑っていました。

大作家がスランプに陥ることはあると思いますが、では素人がスランプに陥ることはないのかというと、事実としてはあるでしょう。まあ、素人である学生にはスランプに陥っている暇などない、書いて書いて書きまくれ、と講師は言いたかったに違いありません。

書いて書いて書きまくるのは実際、楽ではなく、私も机に齧りついて原稿に向かったものの何も浮かんでこなかった経験は多くありました。書くためには、その前段階として内容を考え、創ることが求められるのですが、それは自分一人で行わなくてはならない、孤独で地味な作業です。それが辛いのです。しかしそれをやらなくては書けないのです。

魂はアナログ、手段はデジタル

佐伯一麦と鐸木能光

佐伯一麦『Nさんの机で』(田畑書店、2022年)は、佐伯が身の回りの「もの」について、自伝的要素を散りばめながら語っている随筆集です。その中の「カメラ」という章に、作家の鐸木能光(たくき・よしみつ)との関係について書かれています。

佐伯は1997年にノルウェーに旅立ち、現地在住時に知ったQXエディタというソフトを使って原稿を書くようになります。ソフトのカスタマイズのノウハウを教え合うメーリングリストに入っていたのが鐸木でした。

鐸木は佐伯と同じく文筆業者で、『Nさんの机で』には「小説すばる新人賞を受賞」とあります。作品名は書いてありませんが、『マリアの父親』というタイトルで、第4回小説すばる新人賞を受賞し、集英社から刊行されています。

佐伯は文筆業者仲間ということで鐸木と交流を始め、SF作家の森下一仁とともに「文藝ネット」を立ち上げました。このサイトは現存しており、佐伯の文章を今でも読むことができます。

サイトのトップページには「魂はアナログ、手段はデジタル」とあり、今でもかくありたい、と佐伯は『Nさんの机で』に書いています。今は、もはや佐伯のデビュー時のように毛筆で書く人はもちろんのこと、手書きの原稿用紙に書く人も皆無に近いことでしょう。加えて、単にパソコンなどで書くだけでなく、ホームページやSNSなどネットを活用した販促も当たり前になりつつあります。やる気になれば行動力次第でかなり広く展開できます。

Nさんの机で

佐伯一麦と西村賢太5

「命懸けで小説を書いてる」

西村賢太がフジテレビ「ボクらの時代」に出演し、佐伯一麦に言及したという情報を入手したので、検索したらdailymotionにアップされていました。

調べると、2013年2月10日に放送された回で、共演は玉袋筋太郎伊集院光です。収録は1月18日であったことは、『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店、2013年)を読めば分かります。

さて、西村が佐伯に言及したのは前半部分です。玉袋と伊集院が、小説を書いて自分を曝け出している西村の生き様を称賛するくだりですが、文字に起こしてみました。

田舎もんの私小説書きってのは、自分のことをものすごく美化して。車谷長吉とか、佐伯一麦とか。ぜんぶ田舎もんなんですよ。やっぱり東京生まれの私小説家が大成しないっつうのは、今までそういうジンクスがあったんですよ。(中略)田舎もんは『自分は命懸けで小説を書いてる』とか、そういうことを平気で言う。こっちは言えないの、そういうの。『命懸けで小説を書いてる』とか。恥ずかしくて。

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いつもの憎まれ口

西村は次いで、高学歴藝人を馬鹿にしているのですが、「命懸けで小説を書いている云々」は、車谷も佐伯も近いことなら書いているもののそのままには書いていないと思います。車谷の随筆の類いはあまり読んでいませんし、佐伯も全ては読んでいないので言い切れませんが、私の知る限りでは書いていない。

佐伯は例えば、文学をやるということは世界と対峙することだ、太古から続く生命の流れに耳を澄ますことでもある、といったことを書いていました。まあ、ある意味で文学の営為を美化していると言えるかもしれませんが、西村のこういう言い方はポジショントークというか、いつもの憎まれ口でしかないな、と思います。

西村は上記の言葉を話した後、藝人には敬意を抱いているとも話しています。恐らく西村は車谷や佐伯にも、軽蔑と憧れの両方の思いを持っていたのでしょう。いずれにせよ、私は見ていて、西村の強い自意識を感じました。それを言ったら自分がどう思われるかをかなり気にしているようで、調子に乗って貶してしまい、その後で頑張ってフォローしている気配がありました。

『日乗』には玉袋と伊集院との飲み会について「楽しき一夜」と書いてあります。佐伯について話したことは、書かれていません。

カオス理論

書いて書いて書きまくる

Eテレの「笑わない数学」が面白く、いつも見ています。芸人のパンサー尾形貴弘が真面目な顔で数学の難問について説明する内容ですが、素人の私でもさわりは分かったと思えるくらい分かりやすいです。

先日のテーマは「カオス理論」で、蝶の羽ばたきによって生じた空気の動きが遠く離れた場所で竜巻を惹き起こすという「バタフライ効果」への言及もあり、面白かったです。

こんなのは完全なこじつけですが、考えてみると、小説も最初の設定や書き出しの仕方によって展開が大きく変わります。最高の感動を与えてくれる作品を書くのは、やはり狙ってできることではないのでしょう。

名作を書くには、書いて書いて書きまくるしかないのだと思います。

たたら製鉄とものづくり

「ものづくりの神髄」

NHKスペシャル「玉鋼に挑む ~日本刀を生み出す奇跡の鉄~」を観ました。

美術品として世界に多くの愛好家がいる日本刀の材料である鉄・玉鋼(たまはがね)。「たたら製鉄」という、世界で島根県の奥出雲にしかない製造法による製鉄の現場に密着したドキュメンタリー番組です。いろいろと、考えさせられました。

たたら製鉄について、番組では「日本のものづくりの神髄」という言葉を使って紹介されていました。簡単に書くと、粘土でできた釜に砂鉄と木炭を三昼夜の間、投じ続ける製鉄方法です…が、極熱の炎の近くで夜を徹して続けられる作業は極めて過酷です。職人たちを指揮する村下(むらげ)を務める人はすでに高齢で、三昼夜にわたり指揮し続けることは不可能。村下の後継者候補の人たちに一部任せる箇所もありました。文字通り、身を削ってのものづくりだなと思った次第。

たたら製鉄というと『もののけ姫』が思い出されますが、刀や鉄を用いた武器の需要が多かった乱世には、ものづくりも命懸けだったんだろうな、と。また燃料の木炭というと、『鬼滅の刃』の主人公が炭焼きの一族だったような。

三昼夜かけて作られる鉄は、鉧(読みは「けら」。字は金偏に母)という大きな鉄塊を生み出し、その中にある高純度の玉鋼が、日本刀の材料になります。昨年はその玉鋼が巧く生成できなかったらしく、熟練の職人たちの勘と技をもってしても、いいものがいつでも作れるわけではないらしいです。

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小説に似ているかも

番組を見ながら勝手に想像を膨らませました。もしかしたら、玉鋼の生成は小説の創作に似ているかもなと。材料を燃焼させ、高純度の生成物にするにはそれなりの時間をかけなくてはならない。かといって、単に時間をかければ良いというものでもなく、燃やしている最中も良質な燃焼環境を維持しないと、どんどん不純物が増えていく。いい玉鋼がたくさん取れる時もあれば不作の時もあり、こうすればうまくいく、という答えはない。小説の創作もそれに似ている気がしますし、起業や新事業を成功させることも似ていると思いました。

職人の中には大阪大学で熱学を学んだという理論家がいましたが、その人は玉鋼製造の理論化できない神秘に魅せられていたようで、ものづくりも事業も、そういうことなんだろうなと。うまくいく方法があるとしたら、それは失敗を重ねながら、成功するまでしつこくやり続けることなのでしょう。

今年はコロナ禍の影響などもあり、たたら製鉄の操業は一度だけだったそうです。職人の人数は忘れましたが、一度の操業で職人たちの一年分の給料を全て払うほどの売上を出すのは恐らく無理でしょう。中には刀匠をしている職人がいましたが、皆それぞれ兼業しているはず。たたら製鉄は戦後、伊勢神宮のバックアップを受けて復活できた、とのことでした。このデジタルの時代、たたら製鉄という産業自体が支援の対象なのです。たたら製鉄に限らず、人間によるものづくりというのは、すでに全てがそういう時代に入っているのかも知れない、と思いました。

映画『さかなのこ』を観た。

さかなクンが人気者になるまで

映画館で映画『さかなのこ』を観ました。新作の映画を観るのはけっこう久しぶりでした。

タレントのさかなクンの自叙伝『さかなクンの一魚一会』(講談社、2016年)を映画化したもので、主演は女優の「のん」。監督・脚本は沖田修一です。

私は自叙伝の方を読んでおらず、この映画がそれにどれくらい忠実に作られているかわかりません。さかなクンはたしか、友達に水族館のタコのことを教えられたのが、魚好きになる始まりだったと記憶しています。そしてタレントとして有名になった始まりはTVチャンピオンだったはず。しかし映画ではTVチャンピオンのことは出てこず、友人に誘われて出たテレビでその魚愛を披露したことがきっかけで、子供たちの人気者になっていくストーリーになっています。さかなクンは、映画では「ミー坊」と呼ばれています。

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いい話。

変わり者だが魚への愛着が人一倍強いミー坊が、その純粋な気持ちに正直に、ひたむきに魚と関わり続け、その個性を開花させる話。学校の勉強は秀才ではなく、環境は決して恵まれていたわけでもなかったものの、母親や街の不良たちなど、わずかな理解者たちに支えられながら生きていく。いい話ですね。

ミー坊は底抜けに明るく魚好きで、その気持ちに正直に、確信をもって生きているため、人生にあまり葛藤というものがありません。実際のさかなクンの人生には葛藤があったでしょうけれど、映画ではちょっと天然なところが前面に出され、変わらぬ調子で人生を突き進んでいく。葛藤が映画の醍醐味の一つと思う私はその点がやや不満でしたが、個性を爆発させ子供たちの人気者になる最後は感動的でした。

のんはさかなクンの不思議さを好演したと思いますが、とにかく美人なので、さかなクンだと思いながら観ることがどうしても難しかったです。また映画の前半は一つのエピソードに尺を取りすぎのような気もしました。その他、柳楽優弥が演じる友人のデートに同席するところなど、あまりに不自然な箇所もありました。

さかなクンの自伝、読んでみようかな…。