杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦と西村賢太5

「命懸けで小説を書いてる」

西村賢太がフジテレビ「ボクらの時代」に出演し、佐伯一麦に言及したという情報を入手したので、検索したらdailymotionにアップされていました。

調べると、2013年2月10日に放送された回で、共演は玉袋筋太郎伊集院光です。収録は1月18日であったことは、『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店、2013年)を読めば分かります。

さて、西村が佐伯に言及したのは前半部分です。玉袋と伊集院が、小説を書いて自分を曝け出している西村の生き様を称賛するくだりですが、文字に起こしてみました。

田舎もんの私小説書きってのは、自分のことをものすごく美化して。車谷長吉とか、佐伯一麦とか。ぜんぶ田舎もんなんですよ。やっぱり東京生まれの私小説家が大成しないっつうのは、今までそういうジンクスがあったんですよ。(中略)田舎もんは『自分は命懸けで小説を書いてる』とか、そういうことを平気で言う。こっちは言えないの、そういうの。『命懸けで小説を書いてる』とか。恥ずかしくて。

スポンサーリンク

 

 

いつもの憎まれ口

西村は次いで、高学歴藝人を馬鹿にしているのですが、「命懸けで小説を書いている云々」は、車谷も佐伯も近いことなら書いているもののそのままには書いていないと思います。車谷の随筆の類いはあまり読んでいませんし、佐伯も全ては読んでいないので言い切れませんが、私の知る限りでは書いていない。

佐伯は例えば、文学をやるということは世界と対峙することだ、太古から続く生命の流れに耳を澄ますことでもある、といったことを書いていました。まあ、ある意味で文学の営為を美化していると言えるかもしれませんが、西村のこういう言い方はポジショントークというか、いつもの憎まれ口でしかないな、と思います。

西村は上記の言葉を話した後、藝人には敬意を抱いているとも話しています。恐らく西村は車谷や佐伯にも、軽蔑と憧れの両方の思いを持っていたのでしょう。いずれにせよ、私は見ていて、西村の強い自意識を感じました。それを言ったら自分がどう思われるかをかなり気にしているようで、調子に乗って貶してしまい、その後で頑張ってフォローしている気配がありました。

『日乗』には玉袋と伊集院との飲み会について「楽しき一夜」と書いてあります。佐伯について話したことは、書かれていません。