杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

毎日書くこと11

サラリーマン的発想からの脱却

今年のGWは東京を離れ、里山の風景が広がる場所でのんびりしました。スマホは1日に数回見た程度で、テレビも少々見ましたが、ほぼデジタル抜きで過ごした数日間でした。

お陰で両眼の疲労が取れ、頭の冴えもいくらか取り戻した感じでした。

ただし、読書はしましたが執筆の方はお休みしたため(完全に、ではありません)、先日、久しぶりに文章を書いたらその影響がさっそく出ていました。感覚的ですが、文章を綴っている最中、言葉同士がうまくくっついてくれないのです。以前は言葉と言葉を縫合する回路がよく働き、滞ることなくするすると文章を綴っていけたのですが、それがいささか難しくなっていました。

その現象は恐らく初めてではありませんが、ああ数日書かないとこんな風になってしまうんだなぁ、と改めて強く感じた次第です。

物書きにとって(ライターにとっても)毎日書くことが極めて大切であることは、このブログで何回も書いてきました。毎日、言葉をつなげて文章にするという、ただそれだけの簡単なことのはずですが、その簡単なベーシックな作業をやり続けるのは意外や意外、そんなに簡単なことではないのです。

しかし思うに、物書き稼業を続けるということは、そういう地道な作業を毎日ひたすら続けることをベースにするのでしょうから、休日だから書かない、などというある種のサラリーマン的発想をしている内は、物書きにはなれやしないのでしょう。物書きを目指すなら、そういう気分からいち早く、徹底的に脱却する必要があると思います。

歴史を歩く

街歩きが楽しくなる

吉川弘文館の『みる・よむ・あるく 東京の歴史』シリーズをよく読んでいます。

吉川弘文館というと日本史や世界史の「年表」が有名で、他にも私は「歴史手帳」を持っていたこともあり、歴史専門の堅い会社というイメージを持っていました。しかしこのシリーズはタイトルの通り、見る、読む、歩くをコンセプトとしたもので、内容はかなりコンパクトにされていて読みやすいです。

私は「地帯編4 渋谷区・中野区・杉並区・板橋区練馬区・豊島区・北区」を持っていて、他の巻もことあるごとに図書館で借りています。

見る、読むは本であればある意味では当然のことで、私としては特に“歩く”ことができるのがありがたい。古い地図と現在の地図を並べて解説している箇所が多く、歴史の場所を訪ねて歩きやすくなっています。

本シリーズに限りませんが、歴史の本を通して地元の歴史をつぶさに知ると、街歩きの楽しさがぐっと深まります。

良寛詩碑

日中友好の懸け橋

題蛾眉山下橋杭
不知落成何年代  書法遒美且清新
分明我眉山下橋  流寄日本宮川濱
            沙門良寛

越後出雲崎に生まれた良寛が、中国から長江を下って日本海を渡り、柏崎市の宮川浜に漂着した木柱を見て詠んだ詩です。木柱には「娥眉山下喬」という五字が刻してあったそうで、そこから良寛が遠い中国に思いを馳せ、遙かな想いを詩に託したのだとか。写真の石碑には、その詩文が刻まれていました。

木柱が漂着したのは1825年12月。今から約200年前になります。その後、良寛の詩を刻んだ石碑が日中友好の懸け橋として中国に贈られ、長江を遡って峨眉山下清音閣公園に建立。1990年8月に除幕されたとのことです。

写真の石碑は、新潟県柏崎市高柳町の「じょんのび村」という施設の片隅に建立されています。由来の文章には「副碑」とあります。

歴史は街中に在る

石碑は、「ONE PIECE」のポーネグリフのようなもの。私は街の一隅に石碑が建っているのを見つけると、思わずその中身を読んでしまいます。そこに記された碑文が街や建物などの歴史を現在に伝えていて面白いからです。さらに興味が湧けば、郷土資料などで詳細を読むこともあります。

歴史は街中に点在しています。それは石碑に限りませんが、石碑は最もダイレクトに歴史を伝えてくれるコンテンツと言えます。

正直こそ美徳

口八丁が嫌

本多信一『人生が変わる お金と会社にしばられない生き方』(PHP、2013年)に、こんな箇所があります。

いろいろな会社に赴いてさまざまな人たちを観察すると、やはり、「ウソのつけない正直な人」が伸びているといえます。もちろん二十代、三十代のころは“口八丁、手八丁”のパフォーマンス型社員が伸びますが、四十代、五十代になると、“正直もん社員”が同僚や上司からの尊敬を集めて、グーっと伸びる例が目立ちます。

上記はもちろん本多さんの体験に裏付けられた実感なのでしょうけれど、本当だとしたら嬉しい。私はチビの頃は嘘ばかり吐き、口八丁でやっていましたが、やがて嘘がつけない性格になっていったように思います。というより、口八丁でうわべだけ調子よく、すいすい泳ぐように人生の荒波を切り抜けていくような「器用な人」を軽蔑するようになって、その気持ちから嘘がつけなくなったような気がします。

本多さんの言うとおりだとしたら、正直もんは四十代、五十代から伸びてくるので、楽しみでもありますね。

ちなみに、正直者の中にも豊かになれる人と馬鹿を見る人がいるらしいです。ひたむきに正直であり続けようとする人は豊かになれるそうですが、自分が正直であるだけでなく他人にも正直であることを求め、正直でない人をディスるような人は、けっきょく馬鹿を見るのだとか。

頭は老人、心は子供

老成し、なおかつ幼稚

本多信一『人生が変わる お金と会社にしばられない生き方』(PHP、2013年)を読んでいます。タイトルそのまま、お金や会社に縛られずに生きる考え方や行動の仕方について、本多さんが実体験を元に紹介している本です。

目次を見ながら、読みたいと思ったところをぱらぱらめくって読んでいますが、「第3章 低い視線で生きよう!」の中に「『計らわぬ生き方』に思わぬ『幸運』がある」という節があり、面白い箇所がありました。

本多さんは中央大学法学部卒ですが、大学など意味がない、入りたくもない、と思っていたらしく、高校の同級生と大学受験について語ったことはなかったそうです。

私はつねに「同世代の人々の熱中していること」に、燃えられないのです。大いなるシラけ人間だったわけです。すべてに情熱を欠いた“老人”でした。
 しかし一方で、一般常識がまったく身につくことなく、成人期になってしまった“永遠のコドモ”でもありました。

そのくだりを読み、ああ俺と一緒だ、と感じたものです。私は、恐らく本多さんほどではありませんでしたが、スポーツや受験、恋愛など、同世代の人が盛り上がっていることに対して白けていました。ゲームなどにはかなり熱中し、そういう仲間もいましたが、同世代の連中のことはおおむね馬鹿だと思っていました。何をそんなに阿呆みたいに盛り上がっていやがるんだと。集団が何ごとかに沸き立ち、盛り上がると、だいたい冷めてしまい、嫌になります。今でも同じですね。

周りの皆が面白がっていることが、べつに面白くない。頭は冷え冷えで、老成してすらいたと思います。それでいて、本多さんと同じように一般常識はぜんぜん身につかず、自己中心的で我がまま。幼稚でした。つまり、心は子供のままだったと思います。

本多さんは内向型人間で、私もそうだと思っていますが、内向型は頭が老人で心が子供の人が多いのでしょうか…。

「複式履歴書法」

二つの履歴書を作る

鈴木輝一郎先生の『何がなんでも新人賞獲らせます!』(河出書房新社、2014年)に、「複式履歴書法」という小説技法が紹介されています。鈴木先生曰く、「この小説技法がいちばん新人賞の予選を確実に通る模様」とのことです。

この技法は、小説の登場人物の履歴書を二つ作る、というもの。複数作るから「複式」です。

履歴書Aには一般に流通しているJIS規格の履歴書を使い、登場人物の履歴を埋めていきます。履歴書Bは、ストーリーに合わせて変化するものを記入します。JIS規格の履歴書にはない項目で、その人物の人生を形成した経験や体験、また価値観などです。

私は他人の履歴書(職務経歴書)や、価値観や過去の体験を記した自己PR文を読んだことがありますが、履歴書Aはもちろん前者で、履歴書Bは後者にあたるような気がします。

事典づくりのような

面白いのは、履歴書Aは、「その人物になりきって、あなたの作品世界に『就職』するようなつもりで書く」と鈴木先生が書いているところです。人物は、小説の世界で何らかの役割を果たすために造形される、ということでしょうか。

また、さらに面白かったのが、この「複式履歴書法」でたくさんの複式履歴書を完成させたら、自動的に作家や小説シリーズの事典ができあがるぞ、と思えたことです。

バルザック「人間喜劇」のハンドブックや米澤穂信の「古典部」シリーズのガイド本を読んだことがありますが、それらは言わば小説世界の「事典」であり、人物相関図や人物一人一人の来歴や性格などが細かく記されています。私は上記の小説が好きですが、ハンドブックを読むのも同じように好きで、いつか好きな作家のハンドブックを書いてみたいと思ったほどです。

複式履歴書を作成するのは、小説世界の事典を書くことに近い。そして、小説のハンドブックを書くということは、その小説を研究するということです。

おかしな感じですが、「小説を創る」というのは、自分の小説世界を研究する、ということなのかもしれません。

小説家を目指すライター

ライターは諦めが早いらしい

鈴木輝一郎『何がなんでも新人賞獲らせます!』(河出書房新社、2014年)を読んでいて、思わず見入ってしまった箇所がありました。

「第二章 行き詰まらない小説の書き方」で、鈴木先生の小説講座の受講生にはさまざまな人がいて、中でライターから小説家への転身を図る人は、簡単に挫折する、とあります。講座では最初に五枚の原稿を締め切りまでに書く課題が出ますが、どんな素人よりもライターがその段階でまっさきに挫折していくのだそうです。

原稿が没を食らったことがあると自己紹介してくるライターもたまにはいるそうですが、小説は没が基本だと先生が言うと即座に辞めてしまった、とか。

先生はこう分析しています。

 要するに「書いたら一枚いくら」という仕事をしているので「三百五十枚から五百枚の原稿をもしライター仕事でやればいくら稼げる。無駄働きした具体的な金額がわかってしまう」ということですね。

そのくだりを読んで、ライターをやって小説を書いて発表している俺って、どうなんだろ?…と思いました。

「努力できないこじらせワナビ

先生が言うには、技術とは無関係に埋められる分量である五枚が書けない人は、要するに「小説を書きたくない」とのことです。

小説を書きたい(小説家になりたい)と言って小説講座の門を叩く。けれど五枚すら書けない人。それはつまり「努力できないこじらせワナビ」なのではないかと思います。

人生や生活が思い通りにならず、自己実現できずに悶々としていて、それでいて「俺すごい」というセルフイメージはやたら肥大している。「小説家になりたい」は、そのセルフイメージを実現する手段であり、本当は「俺すごい」を実感したいだけ。肥大したセルフイメージを実現するためには相応の努力が必要だけれども、それができず、辞めていく。だいたいそんなところじゃないかなと思います。

ある小説家志望ライターの話

そういう人はべつにライターに限らないんじゃないかと思いますが、思い当たる節があります。かつて、こんなライターがいました。

その人は、編集プロダクションでライター職に従事し、「小説を書きたい」と周りに言いふらしていました。ところが周囲の人は、その人が小説を書き上げたのを見たことがなかった。その人はプロダクションのマルチタスクに耐えられず、やがて退職。辞める時、「本格的に文学をやりたい」などと言い、退職後、現に真剣に創作をやろうとしました。ところが「三日三晩考えたけど何も出てこなかった」らしく、あえなく挫折…。

今その人はフリーライターをやっていますが、まさに「努力できないこじらせワナビ」だったのではないかと思いました。鈴木先生の講座にきてすぐ辞めたライターたちも、これに近いタイプではないかと思います。

ライターは、金にならない書き物が無駄だと思うのか…。私は、書いたものは決して無駄にはならない、と思うのですが。