杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

概算

原稿用紙約2,250枚

このブログの記事数は約1,500です。2018年3月11日から一日も欠かすことなく記事を書き続けてきましたので、記事数の計算はだいたいそれくらいになります。

さて、ところで自分が書いてきたものは文字量だとどれくらいで、原稿用紙にするとどれくらいになるのだろうか…そんな風に思い、ちょっと概算してみました。

1記事あたりの文字数は、まちまちですが、ここでは仮に600字に設定しました(恐らくもっと多いと思いますが)。

1,500×600=900,000。文字量はそれくらいです。そしてそれを400字詰原稿用紙に換算すると、900,000÷400=2,250枚です。まあこの計算結果は、900,000字が原稿用紙にびっちり詰まったとしたら、ということですがね。

まだまだ…

なんだ…4年以上、毎日書き続けてきたのにたった2,250枚か、と思いました。実際には上記のように、900,000字は枚数にしたらもっと多くなるはずですが。また、いくらなんでも600字は少ないか、800字くらいか、とも思うので、だとすると1,200,000字、原稿用紙3,000枚になります。びっちりでないのだとしたら、枚数はもうちょっと多くなるか。

とはいえ、せいぜい5,000枚が関の山でしょう。

鈴木輝一郎先生は小説家ワナビ向けの本の中で「誰でも一万枚書けばプロになれる」と言っているので、まあこのブログは小説ではないのですが、私が物書きになるにはさらに4年ほど、毎日書き続けなくてはならないことになりそうですね。

まだまだです。辛く長い物書き道ですが、もちろん書きます。書き続けますとも。

世界を創る

小説は「書く」だけじゃない

こないだ一篇の小説を書き上げ、今、また次の新しい小説に取り組んでいます。

前作を書き上げた後の反省は、小説のストーリーの背景になる作品世界を充実させないと小説そのものも充実しない、ということです。

鈴木輝一郎先生のワナビ向け本では、小説を書くための「取材」の重要性が力説されています。登場人物の履歴書を書いたり、作品の舞台について知見を深めたりすることを怠るな、と。

小説執筆の過程で書くことがなくなって行き詰まった時、ストーリーに直接関わりのない部分を充実させてみたら、人物の別の側面ができて書き進められたことがありました。

その直接関わりのない部分が、いうなれば作品世界、小説の背景であり、人間というのはやはり現実の世界でも小説の世界でも環境と呼応して生きているんだ、という気がします。

小説は「書く」ものですが、それはストーリーを記述し、情景を描写する行為であって、それ以前の小説世界を「創る」行為も同じように大切じゃないかと。当たり前のことかと思いますが…。

板橋区立郷土資料館「板橋区の成り立ちとあゆみ」

板橋区のあゆみ

板橋区立郷土資料館で4月23日から開催されている「令和4年度 区制施行90周年記念展 板橋区の成り立ちとあゆみ」を見ました。

「役所」という機関がいかなる役割を持ち、いつ成立して今に至っているのか、その中でどんな事業や仕事をしてきたのか。という堅いテーマの展示でしたが、展示されている資料は貴重で、しかも面白いものばかりでした。

個人的には、城米彦造という画家・路上詩人が残した絵の展示が特に面白かったです。城米は神田区役所(現千代田区役所)に勤務していた頃、税金の督促で訪ねた武者小路実篤に感化され、詩やスケッチの制作に取り組むことになったそうです。Wikipediaには武者小路の「新しき村」にも参加したとあります。102歳没ですが、最晩年まで旺盛に活動したようで、今回展示されていたのは板橋区の風景と詩でした。私は城米のことを知らなかったので、今回の展示は発見でした。

また、モスバーガーの1号店である成増店がオープンして今年で50周年になり、それを記念し成増駅が「なりもす駅」と表示されたことや東武東上線で記念乗車券が発行されたことなども、資料と共に展示され、楽しかったです。

記念展は6月19日まで。すべてを味わうように見たいので、また見に行こうと思っています。

城米彦造の絵と文章

モスバーガー成増店50周年の東武東上線記念乗車券

高島平の歴史

趣のある資料群

板橋区立郷土資料館で4月5日から開催されている「【ミニ企画展】高島平誕生ヒストリー」が、めっぽう面白いです!

このミニ企画展は幅にして5メートルに満たないくらいの狭いスペースで開催されていますが、高島平の歴史に興味がある私にとっては趣のある資料が並べられ、楽しいです。

高島平は旧くは「徳丸原(とくまるがはら)」という名前でしたが、1965年に区画整理事業の都市計画(団地建設)が決まり、土地権利者を中心とした審議会で新しい地名が検討され、高島秋帆の姓と地形が平であることから、「高島平」と決められたそうです。

ミニ企画展では、板橋区が新地名の正式決定(1969年3月1日)にさきがけ区民に初めて地名を伝えた1968年10月20日の広報が展示されていました。本文全6段のうちの1段のみを使い、ごく小さく掲載された新地名の告知はあまりに地味で、展示の紹介カードにも「静かに、素っ気ない始まり」と書かれていたのが面白かったです。

その他、今も地元にある高島秋帆の名残として、高島平の学校の校章が紹介されていました。高島家の家紋「重ね四ツ目結」を基に制作された校章がいくつもあり、いずれも趣がありましたが、中には今はない「高島第四小学校」の校章が紹介されていました。

ミニ企画展は7月3日まで。興味のある方はぜひ。

牛の模様みたいに…

「いい人なんていない」

武田友紀『雨でも晴れでも「繊細さん」』(幻冬舎、2021年)は、著者の武田さんが「がっつりノウハウを読みたいわけじゃない。でも、ちょっと役に立って、ほっとくつろげる話」と書いているように、「繊細さん=HSP」向けに書かれたライトなエッセイ集です。手軽に読むことができます。

その中で「『いい人』『悪い人』なんていない(1)あいまいさに耐える力」という見出しが書かれた文章に、面白い箇所がありました。

武田さんがかつて一緒に仕事をした人の中に、いい人なのか悪い人なのか分からない人がいて、武田さんは結果的にその人に振り回された形になり、ヘトヘトになったそうです。それである人に相談したところ、

「武田さん、もしかして『いい人』が存在すると思ってない? いい人なんていないんだよ。いい部分があるだけだよ。牛の模様みたいにまだらなんだよ」

と言われたのだとか。最初はその意味が理解できなかったが、やがて良いところと悪いところをそれぞれ在るものとして受け入れられるようになったようです。

是々非々をきちんとする

良いところと悪いところが「牛の模様みたいにまだら」というのは面白く、言い得て妙だと思いました。

人間、丸ごと善という人もいないし、その逆もない。皆それぞれいびつで不完全で、その特徴が良い結果を生むことがあれば、悪い結果を生むこともある。だから人と接するには是々非々をきちんとするのが良いと思います。

余談ながら、私の実感ではこの是々非々がない人が存外多く、自分の好きな人は常にどんな場合でも正しい、みたいに思っている人がけっこういます。そういう人は、牛のまだら模様が見えず、白一色か黒一色にしか見えていない、ということでしょう。

相手の嫌なところを一度「嫌だ」と思ってしまうと、好きなところが出てきた時も「嫌だ」で塗りつぶしてしまいがちです。嫌だと思った相手の良いところを認めるのはけっこう難しい気がします。上記引用箇所を読んでいて、武田さんが理解できなかったというのはそういうことじゃないかな、と思いました。

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小説「映画青年」(13)ついに最終回です!

 

端午

5月5日の端午の節句は、男児の健やかな成長を祈る行事です。

板橋区立郷土資料館の古民家・旧田中家住宅では、4月23日から「古民家年中行事 端午の節句」が行われ、五月人形などが多数展示されています。

展示では、こうした年中行事に関する民俗学的な解説も行われ、面白かったです。

端午」の「端」は「初めて」という意味があり、だから「端午」は毎月の初めての「午」の日を指すそうです。中国の戦国時代の暦では、十二支を各月に当てはめる考え方があり、夏王朝で使われていた暦では「午」は五月でした。そうした考えと、「午」が「五」に通じること、また月日が重なる思想(重日思想)が結びつき、五が重なる5月5日を「端午」とするようになったそうな。へえー。

とまれ、飾られていた人形はいずれも凛々しいもので、男児かくあれかし、といった願いが込められているのがよく分かる気がしました。

佐伯一麦に「端午」という短篇があります。

小説家は状態

ワナビという市場

鈴木輝一郎『何がなんでも長編小説が書きたい!』(河出書房新社、2021年)は、小説家志望者に向けて長篇小説執筆を指南する本です。どうして長篇なのかというと、それが書けないと小説家としての「経営」が成り立たないからで、ただの趣味として小説を書いていこうと考えている人向けではありません。「小説家として食べていきたい」と具体的に考えている人、要するにかなりガチのワナビに向けた内容になっています。

鈴木先生は現役の小説家で、小説講座の講師でもあります。ワナビ向けの本はすでに複数出しています。角川文庫の大沢在昌『売れる作家の全技術』が出たのが2019年で、鈴木先生の『何がなんでもミステリー作家になりたい!』(河出書房新社)と同年です。河出からはそれ以前にも鈴木先生ワナビ向け本が複数出ており、以降も出ています。ワナビ向け小説指南は、立派な一つのマーケットと言えると思います。

趣味小説家には向かない内容

本書を読んでいて、我が意を得たり、と思う箇所がありました。

 小説家とは職業ではなく、状態です。小説家とは「小説を書き続けている人」です。

以前もこのブログで、「本の雑誌」に連載された鈴木先生の「生き残れ!燃える作家年代記」から「作家とは、職業ではなく状態なんでござる。」という言葉を引用しました。

それなら趣味で好きな小説を書き続けている人は立派な小説家になります。鈴木先生の著作を私はぜんぶ読んでいませんが、先生はきっと、そういう趣味小説家を小説家ではないとは言わないでしょう。けれども本書はワナビ向けの本であり、書こうとしていても書けない人に対し率直かつ手厳しい言葉が連ねられています(それは優しさでもあると思いますが)。趣味で気ままにやっていこう、という人には向かない本ですね。