杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

黒井千次「丸の内」

講談社文芸文庫『群像短篇名作選2000~2014』収録の黒井千次「丸の内」を読みました。

これは「群像」2003年1月号に掲載された作品で、2004年度の川端康成文学賞の候補になりました。ただし受賞はしておらず、その時は絲山秋子「袋小路の男」が受賞しました。

さて、本作は文庫でわずか19ページしかない短篇で、内容もぜんぜん難しくなく、誰でもすぐに読めると思います。

木枯らし一号が吹いたばかりのある日、定年を過ぎた男が、八重洲付近と思われる場所の眼鏡店に検眼をしに出掛けようと、箪笥からツイードのジャケットを取り出す。駅ホームで電車を待つ間、胸ポケットの中に紙片を見つけ、車内で開くと電話番号らしき数字が並んでいる。東京駅の公衆電話からその番号にかけたら女が出て、新しくなった丸ビルにこれから向かうとか、不可解な会話をする。眼鏡店で用事を済ませた後に丸ビルのテラスに行くと、先ほどの女らしき年配の人と、連れの男に会う。昔の丸の内に関する会話をした後、もう一人の連れの女が出てくるが、そのまま去ってしまう。

女が何者なのか、最後まで分かりません。ヒントらしきものもありませんが、ツイードのジャケットは定年した時に買ったものらしいので、仕事の関係の女なのかもしれません。あるいは丸の内の記憶を背負った霊のようなものなのか。。

不思議な味わいのある短篇ですが、私が特に面白かったのは丸の内界隈の過去について言及されているところです。新しい丸ビルが竣工したのは2002年8月。黒井がこの小説を、竣工後わりとすぐに書いたことが予想できます。

昔は丸の内界隈に骨董屋や書店があったそうで、書店の名は「冨山房」です。冨山房といえば、私は冨山房百科文庫スタンダール『エゴチスムの回想』を持っています。

ネットで調べると、冨山房は今も続いているようで、以前は「冨山房丸の内店」という店舗が丸の内に実際にあったようです。

50000アクセス突破

このブログの合計アクセス数が50000を突破しました。30000から40000に到達するのに半年ほどかかりましたが、40000から50000もだいたいそれくらいの期間です。

SNS連携した記事は比較的アクセスが多いように感じます。ということは、SNS連携をもっと積極的にやる方が良さそうですが、連携させるのは創作とか研究の記事と決めているので、そういうものをもっと書かなくてはなりません。

はてなブログ10周年特別お題を四日間続けました。これがけっこう、アクセスを稼いでいたように感じます。他にも、新聞記事をネタにした記事を出した日のアクセスがかなり多かったこともありました。その時、注目を浴びているワードを入れると検索で引っ掛かりやすくなり、アクセスが伸びるのかもしれません。

まぁ、私が三年以上かけて蓄積してきたアクセスを一日で稼いでしまうブロガーはたくさんいると思います。私の考えているのはそもそも低次元な話ですが、今のところはアクセス数を稼ぎたくて題材を選んでいるわけではないです。ただし、今のままでいいとも思っていません。とはいえ、まぁ、今は気長に構えてやっていこうと思っています。

人間関係、お金との付き合い方。そして書くこと。

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」で記事を書きます。

変わったこと

1:人付き合いのし方。十年前というと、三十歳代の前半になります。当時は、今も勤めている会社で働き、プライベートでは文学同人に所属して同人誌に作品を発表していました。まだ子供はいませんでした。

十年前の自分は、まだ後先を考えず、行き当たりばったりだった気がします。面白いと思う物事や人間に惹かれ、吸い寄せられるように近づいていった挙げ句、痛い目を見たり、思惑が失敗したりしていました。承認欲求にも振り回されていたように思います。他人からの承認を得ようと、尽くしたり、忍耐したりしましたが、空振りに終わることが多かったですね。

この十年の人間関係の変遷を振り返ると、そんな風に私が惑わされ、吸い寄せられるように近づき、取り入ろうとした相手は、悉く私から離れていったように思います。いや、私から離れていったという方が正しい。所詮、相手は私のことなど眼中になく、私が期待するものを私に与えてはくれませんでした。むろん、相手が悪いわけではありません。自分というものがなく、承認欲求に翻弄された私自身が馬鹿だったという他ありません。

健康を損ねるなど、いろいろ大変な思いをして、けっこう勉強しました。その甲斐あってか?、ここ数年でようやく他人に振り回されなくなってきたような気がします。

2:お金との付き合い方。十年前の私は、人間のみならずお金との付き合い方も下手でした。お金は汚いもの、お金を稼ごうとするのは意地汚いこと、といった考えが、頭のどこかにうっすらとあったように思います。一方でお金の使い方は無計画で乱暴、投資とか運用という考えは一切ありませんでした。

社会人になった二十代の頃から借金があったため、生活は苦しかった。そんなこともあり、これも人間関係や健康のことと同様に、いろいろと勉強しました。ここ数年で、ようやくお金の苦労が少しずつ減ってきています。

変わらなかったこと

書き続けていること。恐らくこの一つだけです。小説や、このブログに載せている随筆や調べ物の成果の類い。それらを「書きたい」という思いだけは衰えず、実行し続けています。子供の頃から漫画を描き、学生時代には脚本を書き、小説を書き、社会に出てからも書き続けています。きっと、これからも書き続けるでしょう。

はてなブログ10周年特別お題、これにて全て終了です。やってみると、自分のことを客観的に振り返ることができたように思います。

好きな「最近読んだ本」10選

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」に答えます。

月並みですが、◯◯は「最近読んだ本」にします。「これまでに読んだ本」だとあまりに多くなり選べなくなってしまいますので、「最近」にしました。

1 エドガー・アラン・ポオ『ポオ小説全集2』

本書に収録されている「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」(大西尹明訳)を読みました。内容は、アメリカのナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムを主人公とした海洋冒険譚です。冒険譚とはいいながら、内容は怪奇と幻想で彩られた、異常で不気味な船旅の話になっています。特に後半は非現実の世界に入っていきますが、精細かつ分厚い描写を持続するポオの筆力ゆえに、その異常な世界が強いリアリティをもって読者に迫ってきます。

2 北村薫『六の宮の姫君』

北村薫お得意の「日常の謎」ミステリーの「円紫さんと私」シリーズの一作。卒論に臨む「私」が、芥川龍之介の短篇「六の宮の姫君」の成立事情を巡り浩瀚な書物の世界を推理で探検するという内容です。円紫さんも途中で出てきて、「私」にアドバイスをしてくれます。本の世界を旅するという、やや玄人の読書家の生活が伝わってきます。

3 曽野綾子『心に迫るパウロの言葉』

現代職業研究所所長の本多信一さんが、著書の中で触れていた本。タイトルの通り、パウロの残された言葉について説いていく内容です。不眠症に苦しんだ時期があった曽野の言葉もまた、心に迫るものがあります。

4 本多信一『内向型人間の仕事にはコツがある』

上記の曽野の著書に触れていた本。この本の「内向型人間」は、今でいうなら恐らく「繊細さん」(HSS型を含むHSP)であると思われます。そういう気質を持った人が、組織あるいは個人で、いかにたくましく生きていくかを説く本です。ためになります。

5 佐伯一麦『雛の棲家』

本書所収の短篇「転居記」を読みました。これは著者の佐伯一麦が自らの体験を元に書いた私小説です。主人公は二十代の青年なので、つまり、この小説は佐伯自身の二十代の頃の体験を元に書かれています。都心に住む主人公の妻が性的な嫌がらせをするイタズラ電話に苦しみ、家族のトラブルなどもあって、郊外に引っ越すまでを描いています。佐伯の二十代、三十代の頃の私小説はどれも、女との濃密な関係や生活苦が露骨に描かれていて、読み応えがあります。

6 バルザック『あら皮』

19世紀のフランスの小説家バルザックの代表作の一つの長篇。実はまだ読み終わっていませんが、読みでのある、面白い小説なので選びました。人生に絶望して自殺しようと思った青年が、決行する前に立ち寄った骨董屋で不気味な店主から「あら皮」を貰う。これは、持ち主の願いを何でもかなえるが、そのたびにどんどん縮んでいく、という魔法の皮です。そんなの皮を主人公の青年・ラファエルは、さっそく自らの欲望を実行していきます。バルザックお得意の重厚な描写が味わえます。

7 青木雄二ナニワ金融道

ナニワのネオ・マルキスト青木雄二による金融漫画。前にも読みましたが、再読しました。「お金」というものが潤滑油となり、欲望渦巻く人間たちがうごめく社会がうまく回転していることが、よく分かります。

8 大場つぐみ小畑健DEATH NOTE短編集』

名作『DEATH NOTE』のスピンオフ集。デスノートの応用的な使い方や、探偵「L」の生い立ちや生活なども描かれた面白い短篇集です。

9 ヤマザキマリ『仕事にしばられない生き方』

私は「テルマエ・ロマエ」すら読んでいませんが、あるブログで、独立起業の心構えを教えてくれる本として本書が紹介されていました。面白そうだったので手に取りましたが、著者の仕事やお金に対する考え方には共感するところがいくつもありました。

10 忌野清志郎『ロックで独立する方法』

ロック歌手の忌野清志郎が、ロックミュージシャンとして生きる「覚悟」を説いた本。いかに作品を生み出し続けるか、レコード会社やファンとの関わり方、など広範囲にわたって書かれています。コンテンツを創って生きていこうと思っている人にはためになる内容だと思います。

昨日も書きましたが、何かを一度に10あげるのは、簡単ではありませんね。明日も10周年特別お題やります。

私が「ねほりんぱほりん」にハマる10の理由

はてなブログ10周年特別お題「私が◯◯にハマる10の理由」に参加します。

◯◯は、NHK Eテレの番組「ねほりんぱほりん」にしました。この番組は、顔出しNGのゲストをブタに、聞き手の山里亮太とYOUはモグラに扮することで、普通ではちょっと聞けなそうなことを根掘り葉掘り聞いていくトーク番組です。

Wikipediaを参照すると、番組が始まったのは2016年。私がリアルタイムで見たと記憶しているのはシーズン1の「養子」や「億り人」あたりからで、以降、現在放送中のシーズン6まで、恐らく全部見ています。また過去の放送分の回が再放送されるたび、それも見ています。

「ハマる」度合いはそれほど高くないかも知れませんが、まあ一応ハマっているということで、理由を10あげてみます。

1 人間の「面白さ」を感じられるから

この番組は最後に「ニンゲンっておもしろい」という字幕が出ます。ゲストには元薬物中毒者とか元ヤミ金とか刑務所にいた人とか、犯罪をやっていた人がたまに登場し、壮絶なエピソードが語られることがあります。他にも実に様々な、多くの人にとって「その存在は知っているけど、会ったことはない人」が登場します。その仕事や生活を、多くの人は好奇の目で眺めるでしょう。私もそうですが、総じて感じるのは「ニンゲンっておもしろい」ということです。

私が通っていた日本映画学校は、今村昌平という映画監督が創設した映像の専門学校で、その理念には「人間とは何と面白いものかを知って欲しい。」という言葉があります。この「面白い」は、ウケる、物珍しい、といった面白さとはちょっと違っていて、相手のあらゆる側面に興味を持ち、真剣に対峙することで見えてくる、人間としての「魅力」を指しているように私は考えています。そういう面白さを、この番組を見ているとたまに感じます。

2 人形劇によるエピソード紹介が巧みだから

ゲストの体験談は、人形劇による再現ドラマで紹介されます。これの作り方が実に上手い…いや、人形劇そのものが上手いというより、想像する余地を与えているのが結果として功を奏しているのだと思います。

どういうことかというと、人形劇によるエピソード紹介が、実際にはどんな場面だったのだろうかと、見ている側は想像します。たとえ壮絶なエピソードでも、ブタの人形が演じることで過激な映像にならないものの、見ている側は過激な様子を想像するわけです。その結果、ブタの人形劇が真に迫る映像になる、という効果を出しているように感じます。

3 ゲストが自分の体験を俯瞰的に語ってくれるから

恐らくこの番組は、スタジオに呼ぶゲストの選定が上手いのではないかと思います。ゲストの多くは常識的ではない、特殊な職業や生い立ちの人たちですが、そういう自分を客観視できていて、感情的になることなく一般化して話すことができているように思います。

4 山里亮太とYOUの掛け合いが上手いから

ゲストは元犯罪者とか被害者とか色んな人が出てきて、中には深刻な体験をした人もいます。そのため話の内容がしばしば重くなってしまうこともありますが、山里亮太とYOUが明るく、とはいえ決して茶化すわけではなく受け答えするので、決してどんよりすることがないように感じます。

ときどきYOUがわざとボケて、山里亮太がすかさず突っ込みを入れるのもタイミングがいい。この番組の面白さは、二人の掛け合いがあればこそのものだと思います。

5 30分で手軽に見られるから

私はこの番組を、夜遅くに夕飯を食べながら見ることが多いです。ゆっくり食べ、食べ終わる頃に番組も終わってくれるのでいいですね。

6 ためになる名言をたまに聞けるから

物事を究極まで突き詰めた人は明言を口にします。この番組でもそういう人がたまに出てきて、名言を言ってくれます。面白かったのは「バ美肉おじさん」の「美少女は枯山水」ですね。なるほど上手いこと言うなぁ、と思いました。

7 ブログネタになるから

これまでこのブログで4回、この番組をネタにした記事を書きました。今回を加えると5回です。

8 共感できるから

このブログの過去記事に書きましたが、将棋の奨励会で夢破れた男がゲストとして登場する回は、大いに共感しました。プロ棋士を目指して戦い続ける奨励会員は、すさまじいストレスを抱えていて、大量の口内炎ができることがあるそうです。私もストレス地獄で口内炎が三個も四個も同時にできたことがあるので、そのエピソードを見た時には深い共感を覚えたものです。

9 勉強になるから

自分の知らない世界を体験している人がゲストとして、その体験をリアルに、しかも俯瞰的に語ってくれるので、見ている側としてはとても勉強になります。私自身、何だか異世界を体験できたように思って、このエピソードは小説に使えるかも、と思ったことがあるほどです。

10 次回予告が面白いから

トークの後に流れる次回予告「人間予報」がシュールですね。ヤン坊マー坊の天気予報をパロディにしたもので、ねほりんとぱほりんがスコップや穴掘り機を使って穴を掘っていくアニメが面白いです。断片的に出てくる次回映像も、見ていると不思議と次週必ず見たくなる面白さがあります。

ふう。10もの理由をあげるのは、けっこう大変でした。。さて、明日も10周年特別お題をやろうと思います。

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「はてなブロガーに10の質問」に答えます。

はてなブログが10周年ということで、めでたいですね。特別お題キャンペーンが行われているので、面白いので参加します。

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」に答えます。

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログを開始したのは3年以上前ですが、タイトルをきちんと考えたいと思っていたものの、ぴったりのものがなく、「杉本純のブログ」という単純で平易で味気ないタイトルをつけて、ひとまず発進しました。よって、「由来」といったものはありませんね。ただ、近々リニューアルをしたいなとは思っていて、その際にはちゃんと考えたタイトルをつけようと思っています。

ハンドルネームはつけず、本名がいいのではないかと今も思っています。ただこちらも、リニューアルするに際して色々と考えていることがあり、もしかしたらちゃんと「由来」のあるネームを採用するかもしれません。

はてなブログを始めたきっかけは?

仕事の関係で知った或るフリーライターがブログを毎日書いていて、自分の夢をかなえ、歩みたい人生を歩むならブログを始めることがオススメ、と色んなところで言っていたのを知ったことが、直接のきっかけだと思います。

その頃は私自身、独立や副業などをあれこれ考えていた時期で、そのフリーライターの言葉はとても刺激的でした。ブログならばすぐに始められる、という気持ちもあり、すでにTwitterを始めていたのでSNS連携もできるぞ、という思いも背中を押しました。

もともとのことを言うと、私は「物書き」、広い意味での「作家」になりたいと思っていて、調べ物をしたり、創作をしたりしていました。一時期は文学の同人誌に所属し、小説などを発表していたのですが、そこを退会して以降、書いたものを発表する場がない状態が続いていたのです。

フィクション、ノンフィクションのいずれにしても、作家として世に出るのに最も手っ取り早い方法は新人賞を取り、出版社から本を出すこと(ないし雑誌に作品を載せること)だと思います。今なら小説投稿サイトやKDPなどがありますが、私がブログ開始を検討していた頃はそれほど普及していなかったと記憶しています。そして、私は出版社の新人賞の類いに数度挑戦したものの、いずれも一次選考すら通らない有り様で、けれども書いたものを発表したいという思いはあって、悶々としていました。小説投稿サイトに投稿したこともありましたが、長続きせず、フリーライターに触発された、という上記の事情もあって、ブログを始めることに決めました。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

たくさんあって一つには絞れませんが、最近なら(半年前ですが)第三十二回文学フリマ東京に出店した際のレポートでしょうか。

このブログを読んでくださっている方が来店してくれたのが感動的でした。また私は上記のように、書き物をして生きていきたいと思っていて、文学フリマへの出店は「書いた物を売る」挑戦でした。それが、わずかではありましたが成果を生んだことは、一歩前に進むことができた、という実感を得られた出来事でした。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

本を読んだり、街を歩きながら考えごとをしたりしている時などに、記事の元になるテーマを思いつくことがあります。

興味の対象は、小説、映画、歴史などが主で、その他にも仕事に関すること、人間関係や人生、といったことで気づいたことがあると、記事にしたくなります。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

下書きではありませんが、一時期は予約投稿した記事が一か月以上分ありました。その時期は、上記のようなテーマについて、思いついたらすぐに書いて保存していました。それが積み重なって、一か月以上分になっていたのです。

自分の記事を読み返すことはある?

よくあります。修正点を見つけたら修正しています。また、なるべく似たような内容の記事は書きたくないと思っているので、書こうと思ったものでも過去記事を探って近いものがあれば、新たに書くのをやめることがあります。

好きなはてなブロガーは?

「ずぶぬれの二人の世界」の芹田陽子さん。飾らない身辺雑記が気に入っています。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

10周年おめでとうございます。これからも書きます。

10年前は何してた?

今と同じ会社員です。

この10年を一言でまとめると?

試行錯誤。七転八倒。沈思黙考。臥薪嘗胆。あたりでしょうか。物書きを目指していろんなことを試し、失敗しました。いろいろ考えました。

平安時代の人の一生

ある人のブログに面白いことが書いてあった。現代人が一日に浴びる情報量は、平安時代の人の一生分だと言われている、とのことである。面白かったので、いろいろ考えた。

「言われている」とあるし、情報の出どころは分からないが、この「情報」とは何だろうか。文字情報なのか、それ以外の情報なのかも分からないが、何かをビット数換算したらそれくらいの差がある、ということだろう。

恐るべき差だが、平安時代の人が現代人に比べて皆のほほんとしていたかというと、分からない。恐らく、そうではない。当時は今ほど医療や福祉が発達していなかっただろうし、戦争があり、身分制度があり…などなど、生きるか死ぬかの場面や自分の思い通りにならないことは今よりも多かったのではないかと思える。

そのブログには、それくらい桁違いに情報が多いのだから、自分で取捨選択できる力が必要だ、とあった。

それは言うなれば「選択と集中」「エッセンシャル思考」に通じる価値観で、たしかにこれからの世の中を情報の洪水に吞まれずに生きていくには大切だと思う。ただ、一つのことに集中して成果を最大化しようとする考え方は、昔だってあったはずだろう。恐らく、昔も今も、そのことに気づいていない人が多い、ということではないか。