杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

たった一人の時間

佐伯一麦はかつて、小説家ワナビに向けた「作家をめざす君に」という随筆を書いた。そこで佐伯は、文学をやるということは世界と対峙するということで、太古から続く生命の流れに耳を澄ますことでもある、といったことを述べた。

学校を終えて社会人になってからもワナビを続けている人は、勤めながら作品を創る時間を捻出するのに苦労するだろう(私である)。結婚して子どもができればなおのこと、自分の時間を作るために四苦八苦するはずである。

さてこの「自分の時間」だが、これは佐伯が言ったように、耳を澄まして世界と向き合う時間、言うなれば「たった一人の時間」であるように思う。単に時間があればいいというものではなく、抽象的だが「世界と向き合える時間」である必要があるのではないかと思う。いうなれば「孤独」ということではないかと。

川端康成ノーベル文学賞をとった時に三島由紀夫が、川端が夜、机に向かって孤独になって取り組んだ結果がこういう世界的な賞につながったことに感銘を受けた、といったことを言っていた。たった一人で世界に向き合った時間に生み出したものが、国境を越えて人の心を打った、ということだろう。

人間は孤独になると気が狂う、と聞いたことがある。しかし、書くには孤独にならないといけないようだ。

「ぬか床の底」

オール讀物」11月号に、作家・桜木紫乃のインタビュー「新人賞から本当のサバイバルが始まる」が載っている。桜木は2002年に「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞したが、初の単行本『氷平線』が出るまで5年半という月日がかかった。受賞後、毎週のように30枚の短篇を書き、出版社に送っていたが、次第に担当者から連絡がこなくなった。没であるのを自覚しつつ、さらに次を書いて送るという生活。そんな毎日を桜木自身はインタビューで「ぬか床の底でどうすれがいいかわからず、途方に暮れていました」と話している。

ちなみに、Wikipediaを参照すると、桜木は1965年生まれで、24歳で結婚して専業主婦となり、二児をもうけた後に小説を書き始めた。インタビューでは「三十三歳頃から地元の同人誌に参加」とあるが、Wikipediaを見ると「北海文学」という同人誌だったことが分かる。「北海文学」には33歳で参加し、色恋を描いて「小説ではない」などと言われたようだ。

新人賞受賞後の話に戻ると、受賞後5年半にわたりほぼ鳴かず飛ばずで、あまりに辛かったので「すばる文学賞」に応募した。最終選考に残り、編集部に実はオール讀物新人賞を受賞したことがあると話したら、最終候補は取り消しになった。しかし編集部の人から「絶対に小説をやめないでくださいね」と言われ、冷静になって努力を継続する。その後、松本清張賞の最終にも残ったが落選。しかし、文春の編集者が「僕は桜木さんの作品が好きです」と励ましてくれて、つらかったが書き続ける力になった。別の文春編集者から毎年送られてくる文春のカレンダーと手帖も心の支えになっていた。

その間に文春の担当者は替わり続けていたが、ついに単行本デビューの機会がやってくる。その計画は2006年にあり、それまでの没原稿を直し続けて、2007年にようやく出版される。「あの一年が一番キツかったかもしれない。先が見えるような、見えないようなぼんやりした中で、正解もわからないまま原稿を直し続けてましたから」と桜木は話している。それからも没が続いた後、『ホテルローヤル』を書くことになる。

「ぬか床の底」という言葉が印象的だった。新人賞受賞後、小説が採用されない中でどうやって生活を成り立たせていたのか。専業主婦を続けていたのかどうか、詳細は知らない。ただ、やはり書き続けることがまず何より大事だと思った。そして助言を続けてくれる編集者の存在も重要だと感じた。

知の巨人

だいぶ前にこのブログで、「最後の文士」という言葉が色んな作家に対して使われている、と書いた。「最後の○○」という言葉はとても便利な持ち上げの言葉だと思う。

それと似たような言葉として、「知の巨人」という言葉も挙げられるだろう。日本人は「知の巨人」が好きであるらしく、立花隆を筆頭に、松岡正剛佐藤優南方熊楠などなど、何人もの「知の巨人」がいる。先日、テレビのクイズ番組で高学歴の芸人や女子アナが「知の巨人」として登場していた。こちらは「最後の」と違い、何人に使っても構わないだろうが、いずれにしても、便利な言葉だなぁと思った。

板橋区立熱帯環境植物館「アマゾン展リターンズ!」

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板橋区立熱帯環境植物館で10月19日から開催中の「アマゾン展リターンズ!」を見た。

6月に開催した同じテーマの展覧会が好評だったとのことで、その第二弾である。世界最大の河であり、生き物の宝庫でもあるアマゾン川。その流域に生息する生き物を紹介していた。

前回同様、ピラニアの水槽があり、ごつい顔をしたピラニアと一緒に写真を撮ることができた。私が好きなヘラクレスオオカブト、クランウェルツノガエル、モウドクフキヤガエルがいた。

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また今回は、たしか前回はいなかったと思う、グリーンイグアナという大型のイグアナを見ることができた。

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展示スペースの一番奥、しかも柵に囲まれたゲージの中にいて、今回の目玉という感じがあった。赤いライトが当てられていて、恐らくこれがないと寒くて耐えられないんじゃないか、と思った。

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地元でこういう珍しい生き物が見られる展示があるのはありがたいな、と思う。

行動力

朝日新聞11月5日朝刊に、第18回ショパン国際ピアノコンクールの記事が載っていた。

オンラインが日常化したコロナ禍の世の中でコンクールはエンタメとして提供され、権威を基礎にしてきた旧来の音楽ビジネスの在り方にも一石を投じた、とのこと。

実際にショパン国際ピアノコンクールをリアルタイムで見たわけではないので実感はないが、ネット、なかんづくユーチューブが藝能全般に大きな影響を与えているのは、日頃から感じるところ。

新聞の記事では、日本の音楽業界は、権威の先生に教わり、いい音大を出て、コンクールを受けたり留学したりした人を受け入れてきたが、そういうある種のシステムが、そうではないキャリアを歩む人たちの登場によって突き崩されている、というコメントが載っていた。

記事ではコンクール2位の反田恭平と、第3次予選まで進んだ角野隼斗の活動を引き合いに出していた。二人ともすでに独自の活動をかなり展開していて、ショパンで1位ではなかったがこれからも自らの音楽世界を追求し、発信していくんだろうと思った。ショパンに限らず、コンクールで入賞することはキャリアを切り開く上で大切だと思うが、行動力もそれと同じくらいに大切なんじゃないだろうか。そんな風に感じた。

小説だってネット発信がかなり増えていると思う。文藝誌の新人賞を取り、雑誌に作品を載せることが王道なのだろうが、KDPやブログに書いて発信し、SNSと連携させ、ユーチューブでの読者獲得も行う…といった、作家による直販とセルフプロデュースがネットによってできるようになっている。

作品が面白いことが最も大切だろうが、いかに面白くても読者に届かなければ意味はない。ひと昔前はそれが出版社の新人賞を取ってデビューする、という「狭き門」だった。しかし今は誰もが直接世に問う手段を獲得できるようになったのだ。まあ、考えてみるとそれは今に始まったことじゃなく、ずっと昔からそうだった気もするが。

自分を亡くす

ここのところ、めちゃくちゃ忙しい。十一月なのに師走の忙しなさを感じさせるほどである。

忙しい時期は昔からほぼ定期的にあるが、近年は物事を俯瞰的に見つめる視点が養われたのか、仕事の全体像が見えていて、以前のように暗闇の中を這い回っているような絶望感はない。昔は業務量が一日の許容量をオーバーすると周囲を取り囲まれたような感覚になり、観念したあげく笑い出す、といった振る舞いをしていた。それでも体力と時間が余るほどにあったから、まぁ終電までやればいいや、とか、休みの日にやればいいや、などと考え、実際にそうしてやり過ごしていたように思う。能天気だったのだ。

そう考えると俺は少しは成長したのかな、と思うが、度を越えた多忙はやはり心身に良いものではない。私は調べ物と書き物をライフワークにしているが、仕事が忙しいゆえにライフワークに手が着けられない日が続くと、自分を見失う…つまりだんだんと自分が自分でなくなってくるような気がしてくる。「忙しい」の「心を亡くす」とはつまり、自分を亡くしてしまう、ということじゃないか。

縁なき衆生は度し難し

他人と議論をしていて、自分にとっては簡単な問題だと思うことが、相手にとってはやたら難しい問題になっていることが、たまにある。

そこで、これこれこういう風に考え、こう行動すればその問題は難なく解決できるでしょう、といった提案をする。それに対し相手は、なるほど…いや、でもこれこれこういう背景があってそうするのが難しいのだ、といった事情を語る。私はその背景事情を含めても、これこれこういう考え方で乗り越えられるじゃないか、と話す。相手はまたもや、そうなんだけれどもかくかくしかじかの理由があってだなぁ…などと言う。私は、いや、だからそれはこう考えれば…という、押し問答のような感じで問題がいっこうに解決に向かわないことがたまにあるのである。

決して主義主張が異なっているわけではなく、同じ問題を解決しようと手を組んでいるはずなのだが、押し問答めいた展開になってしまう。そんなことがたまにあって、けっきょく、立場が上の人の言うことに従う、という形になることが多い気がする。それで私は、それなら最初からそうすりゃいいじゃん、と。

どうやら、議論の前提、つまり論を展開する基礎の価値観が異なる者同士では議論はしにくいものらしい。だが私がしばしば感じるのは、相手はどうやら既成概念に縛られていたり、何らかの思い込みがあったりと、科学的に考えることができないでいるんじゃないか、ということだ。私にそういう既成概念や思い込みがない場合、上記のように、この人はどうしてこんなことで悩んでいるんだろう、これこれこういう風に考えれば簡単に解決できるじゃないか、と思うのである。

そんな時、私はよく「縁なき衆生は度し難し」と思う。この言葉は、忠告に耳を貸さない人は救いようがない、という意味だが、この場合はややニュアンスが違っていて、物事の道理を飲み込めていない人はそれに沿って考えることもできず、いくら説いて聞かせても理解できない、といった感じである。恐らく、相手はこの先もずっと思い込みを捨てられず、同じ問題でつまずき続けるんだろうなと。

私も既成概念や思い込みはあるだろうから、時として相手の方が私を「縁なき衆生」と思うこともあるだろう。ただ、私は自分から議論をしかけて、俺と相手はどうやら前提が違うぞと感じたら、その議論は早々に切り上げる。