杉本純のブログ

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「ぬか床の底」

オール讀物」11月号に、作家・桜木紫乃のインタビュー「新人賞から本当のサバイバルが始まる」が載っている。桜木は2002年に「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞したが、初の単行本『氷平線』が出るまで5年半という月日がかかった。受賞後、毎週のように30枚の短篇を書き、出版社に送っていたが、次第に担当者から連絡がこなくなった。没であるのを自覚しつつ、さらに次を書いて送るという生活。そんな毎日を桜木自身はインタビューで「ぬか床の底でどうすれがいいかわからず、途方に暮れていました」と話している。

ちなみに、Wikipediaを参照すると、桜木は1965年生まれで、24歳で結婚して専業主婦となり、二児をもうけた後に小説を書き始めた。インタビューでは「三十三歳頃から地元の同人誌に参加」とあるが、Wikipediaを見ると「北海文学」という同人誌だったことが分かる。「北海文学」には33歳で参加し、色恋を描いて「小説ではない」などと言われたようだ。

新人賞受賞後の話に戻ると、受賞後5年半にわたりほぼ鳴かず飛ばずで、あまりに辛かったので「すばる文学賞」に応募した。最終選考に残り、編集部に実はオール讀物新人賞を受賞したことがあると話したら、最終候補は取り消しになった。しかし編集部の人から「絶対に小説をやめないでくださいね」と言われ、冷静になって努力を継続する。その後、松本清張賞の最終にも残ったが落選。しかし、文春の編集者が「僕は桜木さんの作品が好きです」と励ましてくれて、つらかったが書き続ける力になった。別の文春編集者から毎年送られてくる文春のカレンダーと手帖も心の支えになっていた。

その間に文春の担当者は替わり続けていたが、ついに単行本デビューの機会がやってくる。その計画は2006年にあり、それまでの没原稿を直し続けて、2007年にようやく出版される。「あの一年が一番キツかったかもしれない。先が見えるような、見えないようなぼんやりした中で、正解もわからないまま原稿を直し続けてましたから」と桜木は話している。それからも没が続いた後、『ホテルローヤル』を書くことになる。

「ぬか床の底」という言葉が印象的だった。新人賞受賞後、小説が採用されない中でどうやって生活を成り立たせていたのか。専業主婦を続けていたのかどうか、詳細は知らない。ただ、やはり書き続けることがまず何より大事だと思った。そして助言を続けてくれる編集者の存在も重要だと感じた。