杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

平安時代の人の一生

ある人のブログに面白いことが書いてあった。現代人が一日に浴びる情報量は、平安時代の人の一生分だと言われている、とのことである。面白かったので、いろいろ考えた。

「言われている」とあるし、情報の出どころは分からないが、この「情報」とは何だろうか。文字情報なのか、それ以外の情報なのかも分からないが、何かをビット数換算したらそれくらいの差がある、ということだろう。

恐るべき差だが、平安時代の人が現代人に比べて皆のほほんとしていたかというと、分からない。恐らく、そうではない。当時は今ほど医療や福祉が発達していなかっただろうし、戦争があり、身分制度があり…などなど、生きるか死ぬかの場面や自分の思い通りにならないことは今よりも多かったのではないかと思える。

そのブログには、それくらい桁違いに情報が多いのだから、自分で取捨選択できる力が必要だ、とあった。

それは言うなれば「選択と集中」「エッセンシャル思考」に通じる価値観で、たしかにこれからの世の中を情報の洪水に吞まれずに生きていくには大切だと思う。ただ、一つのことに集中して成果を最大化しようとする考え方は、昔だってあったはずだろう。恐らく、昔も今も、そのことに気づいていない人が多い、ということではないか。