杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

板橋区立郷土資料館「板橋と光学vol.3」

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板橋区立郷土資料館で企画展「板橋と光学vol.3 いたばし産のカメラたち」が開催中なので、さっそく見てきた(2020年12月12日から2021年3月21日)。

「vol.3」とあるように、過去に2回開催しているシリーズ企画の第三弾である。「vol.2」を開催したのは2010年で、約10年ぶりの新シリーズとなった。

板橋区は「光学の板橋」としてブランディングを進めているが、光学関連企業が区外へ転出などしていて、厳しい状況にある。が、区としては光学研究と企業をつなぐ役割を担い続けていて、今回の企画展では、戦後復興と高度経済成長を支えた板橋産の双眼鏡やカメラ、板橋の光学産業の現在を伝えている。

光学関連企業は戦争が終わるまでは旧軍の求めに応じて光学製品(照準器や双眼鏡や測量機器などの実用品)を作り、戦後になると、一般用の双眼鏡やカメラを作って、それが広く大衆に普及していった。正直に言って、「光学」はあまり馴染みのない分野だが、こうして近現代史の流れの中でその変遷を見せてもらえると、よく分かる気がする。

関連企業が区外に転出している、というのは当然といえば当然じゃないだろうか。メーカーの工場も研究所も、多くは土地の安い郊外か田舎の方に移っているから。

今年度中はずっとやっているので、時間があったらまた見に来よう。

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映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を観た。

先日、久しぶりに映画館に足を運んで映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』を観た。

私は原作を読んでいないしアニメも見ていないが、何かと話題だし、子供が観たいと言ったので一緒に観に行ったのだ。

感想はシンプルで、けっこうグロいなぁ…と。首が飛んで血がどばどば。。こういうのを子供たちが観て喜ぶのは、正直に言うと私はあまり善しとしない。

主人公たちは辛い過去を背負っていて、特にこの映画で死んでしまう煉󠄁獄杏寿郎の母親との思い出など、観ていて涙が出そうになった。そういう辺りは、お馴染みと言えばそうだが、胸を打たれた。

一方で、鬼たちのキャラ設定が、三十年以上「ジャンプ」の漫画を読んできた私としては既視感がぬぐえなかった。敵がクレイジーで、やたら饒舌に悪の美学を披露する、というのは「ジャンプ」の漫画では昔からお決まりの描き方である。私は、美学ってのはそんなにべらべら喋っちゃいかんよ、と思う派である。また、刀を使って必殺技を繰り出す漫画は、「ジャンプ」だと「魁!!男塾」や「るろうに剣心」や「ONE PIECE」などがあって、あぁこれもか、と思った。

シナリオは、序盤がちょっと弱く、後半も展開が弱い。全体的に、バトルシーンで押している。バトルの効果音がやたらでかい。あと、主人公の竈門炭治郎の一家は炭焼きをする家のようだが、これはたぶん下層民ではないか。その辺りに何らかの意味があるかどうか…原作を読むと分かるかも知れない。

区制普及映画「伸びゆく板橋区」を観た。

板橋区公文書館Twitterで紹介されていた板橋区の区政普及映画「伸びゆく板橋区」を観た。YouTubeでも配信されているが、公文書館でDVDの貸し出しも行われている。

ストーリーは、板橋区の風景を描く画家が区のことを学ぼうと、区役所を訪ねて勉強するというもの。歴史、自然、区政、産業などを紹介する、ストーリー付きの映像風土記といったところ。「昭和31年」(1956年)の作品なので、板橋区どころか日本が戦後の好景気で沸き立っていた頃かと思う。現に、区内の商店街の様子など、人間でごった返していて楽しそうだ。また、徳丸ヶ原がちょっと出てきたが、1956年なので当然まだ高島平団地は作られていない。

おおむね区政の明るい側面を紹介するもので、この映像でも複数の工場が紹介されているが、きっとこの頃には新河岸川の水質汚濁などがすさまじかっただろう。もっとも、それが当時どれほど問題視されていたのかは知らない。とにかく、当時はものすごく活気があったことは映像からよく伝わってきた。

板橋区立郷土資料館コレクション展「樺太アイヌ 人類学者、樺太へ渡る」

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板橋区立郷土資料館で2020年12月1日から3月31日まで開催されるコレクション展「樺太アイヌ 人類学者、樺太へ渡る」を見た。

人類学者とは石田収蔵(1879-1940)で、秋田県出身で晩年は板橋区(現在のイオンモール辺り)に住んでいたということで、板橋区ゆかりの人物である。

今回のコレクション展は、2020年にウポポイ(民族共生象徴空間)と国立アイヌ民族博物館が会館したことを記念して、郷土資料館収蔵の石田の資料を紹介するもの。樺太アイヌウィルタニヴフに関する調査の資料だ。

人類学はあまりなじみのない世界だが、日本語の文章の隣に、その言葉の現地語での発音の仕方が複数書かれたノートなど、面白かった。現地内では複数の語が使われていたので、一つの日本語の文に対し訳語の発音の仕方が複数あった。

かつて文学同人誌に参加していた頃、近代アイヌ文学の評論を書いている人がいた。その後、一冊の本にまとめられたようで、それは読んでいないのだが、すごいなあと思った。一つのことを続けることが大事と思った。

島崎藤村を知らないとまずいか

こないだ、あるライターの珍妙なエピソードを耳にした。そのライターがまだ本格的にライターになる以前のエピソードなのだが、小説家の島崎藤村のことを知らず、「『ふじむらとうそん』って誰ですか?」と発言したそうなのである。島崎が抜け落ちて「藤村藤村」になってしまっていた、ということで、笑い話にされたと同時に、そのライターにとしては恥を晒す形になった。

そのエピソードを聞いて、しかし私はちょっと、心の中で首を傾げたのである。たしかに私のように文学に興味を持つライターであれば、島崎藤村は知っていて当たり前である。しかし、今のライターが文学の知識、なかんづく近代文学の知識の有無を問われることは、そういう種類の取材をするのでない限り、はっきり言って皆無だろう。それから、藤村ってたしかに普通は苗字だよね。。

漱石や鷗外、川端などとなれば、一般教養として名前くらい知っているべきかも知れない。ただし少なくとも私の肌感覚では、今のライターの仕事において、小説や歴史に関する分野の取材でない限り、漱石鷗外康成などの名前が出てくることはない。もっと時代を下った大江だってない。逆に三島や石原慎太郎の方が露出が多いので知られているし、最近なら朝井リョウ又吉直樹加藤シゲアキあたりがごく自然に知られているだろう。

このライターのエピソードは、広くいえば文化や歴史に関わる教養が必要、という観点では確かにそうだと思うが、最近の話題について情報を入れていることが必要、という観点なら、藤村など知っている必要は全然なく、どちらかというと上に書いた三島以下の人たちを知っていることの方が求められる。それは、担当する案件の性格にもよるのではないか。

ライターだって興味のないことは全然知らなくて当たり前である。まあもちろん、私は物を知らなくていいと言いたいのではない。そりゃあ藤村だって四迷だって鏡花だって花袋だって秋声だって、知らないよりは知っている方が良いに決まっている。ちなみに私は不動産会社の社員にインタビューをした時に初めてミース・ファン・デル・ローエを知った。恥をかいたわけではなかったが、以来、コルビュジエ、ライトと共にその名を記憶している。

今のライターについて思うのは、取材対象に関する知識が十分にないまま取材に臨まなくてはならない苦しさがあることである。昔のライターにもそういう問題はあったかも知れない。

ポジティブ思考とワナビ

ポジティブ思考について書いたネット記事を読んだ。半分まで水が入ったコップを見て、「まだ半分もある」と考えるのがポジティブ、「あと半分しかない」と考えるのがネガティブなのだという。何かと不安定でストレスが多い現代では、ある程度は楽観的である必要があるが、ポジティブ過ぎてもダメで、現実のリスクをきちんと見据える一種のネガティブさとのバランスが大事であるらしい。確かに。

これはビジネスマン向けの記事だったが、ワナビだって結局は同じ姿勢でいるべきなんだろうな、と読みながら考えた。大学を出て会社で働いているが、小説家とかミュージシャンとか俳優とかになりたいと思っているワナビは、創作などの活動にもっと打ち込みたい、あるいは今勤めている会社なんてもう辞めたい、などの理由から早まって退社してしまうことがあるかも知れない。けれども、言うまでもなく会社を辞めたからって即プロとして活動できるようになるわけではないし、定収入がなくなって貯金が尽きたら会社員時代以上にやりたい活動から遠ざかるだろう。

ワナビは、いつ「なりたい自分」へと続く扉が開くかが分からない状態を毎日を過ごすしかない。いつか扉が開くと信じ、創作して発信して…つまり「行動」し続けるしかない。未来は見えないけれどやり続ける。それが辛いのである。ポジティブ思考に傾けば、会社を辞めて時間を作ればもしかしたら上手くいくかも…と淡い期待が出てきて会社を辞める選択肢が浮かんでくるかも知れない。しかしその保証は全くないので、うかつに現状を飛び出してしまうのは賢明とは言えないだろう。

ネット記事には、信じるのは成功ではなく自分、とあった。その通りだと思う。

佐伯一麦と坪内祐三

ユリイカ」2020年5月臨時増刊号は「総特集●坪内祐三」で、ここに佐伯一麦が寄稿しているので図書館で予約していたが、このほどようやく読むことができた。

寄稿は「回想・坪内祐三」というタイトルで、坪内の思い出を語ったものだ。佐伯は「それほど深い付き合いがあったわけではない」と書いているが、坪内の訃報を聞いてからはしばらく鬱鬱とした日々を過ごしたらしい。

佐伯は坪内と対談を二度、鼎談を一度行い、文庫解説を書いてもらったことが一度ある。文庫とは『鉄塔家族』(朝日文庫、2007年)で、坪内は解説でこの小説を「現代小説の傑作」と言っている。

「回想・坪内祐三」で面白いのは、佐伯が仙台から上京後、高田馬場フリーライター事務所に見習いとなった時のことが書いてあることだ。

そのすぐ後に同僚になった人が早稲田の文学部の二部に籍を置いていて、佐伯はその人の案内で早稲田のキャンパスに出入りしたことがあったという。佐伯の一歳年上の坪内は一浪して早稲田に入学。佐伯は同僚から、坪内が参加していた「マイルストーン」のことを耳にしたそうな。また、佐伯は高田馬場野口冨士男とすれ違ったことがあるが、坪内も早稲田通りで野口を見かけたことがあった。