杉本純のブログ

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板橋区立郷土資料館特別展「いたばしの富士山信仰―富士講用具と旅した人びと―」

富士講」に関する資料を多数展示

板橋区立郷土資料館に行き、特別展「いたばしの富士山信仰―富士講用具と旅した人びと―」を見ました。

富士山信仰とは、言葉の通り、富士山を信仰の対象とし、崇拝し、参詣することなどを指します。山岳信仰の一種で、江戸時代から昭和時代まで、庶民の間で行われていたといいます。富士山信仰をする庶民の集団を「富士講」といい、江戸時代後期には「江戸八百八講」といわれるほど多くの富士講が江戸近郊にあったのだそうです。

今回の企画展は、富士山信仰そのものを紹介しつつ、板橋区内にあった富士講で使われていた道具などを展示していました。昭和時代まで民衆の間で行われいたこともあって、多くの資料が残っており、関係者の写真もあって、活動の様子が窺えました。面白く、かつ勉強にもなりました。

庶民が実践した信仰の形

富士山信仰は、長谷川角行(かくぎょう)という人が江戸時代の初期に教義化し、その教えを継いだ食行身禄(じきぎょうみろく)が富士山の烏帽子岩に入定(にゅうじょう)をした後、富士講が興隆して庶民に広まっていったのだそうです。入定とは、苦行の果てに死んでミイラ化するのを指すとのこと。

板橋区にはかつて「永田講」「山万講」「丸吉講」といった富士講があり、区内各地に富士山を模した「富士塚(ふじづか)」が築造されました。富士講は現在は残っておらず、富士塚も今では利用者はいませんが、江戸から昭和にかけて庶民の間にそういう形の信仰があり、実践されていたというのは興味深いですね。

中でも私は、板橋区の赤塚地域にあった丸吉講を前身とする「東京成増宝元講」の先達(講のリーダー的役割)を務めた田中善吉という人が面白いと感じました。田中は成増3丁目で豆腐屋を営んでいた人ですが、熱心な宗教家であり、自宅に浅間神社(富士山信仰の神社)を建立したのだそうです。すごい人ですね。ふと、この人に関する小説を書いてみたいなぁと思いました。

ちなみに、板橋区内の富士講のことは以前このブログでもブログでも書きました。その記事は、芥川賞作家の黒田夏子の「山もどき」という作品が富士塚に関する内容だったことに絡めて書いたもので、自分の家の近くにも富士塚があることを書きました。

東京の変貌を物語る特別展

今回特別展を見て、板橋の富士山信仰が昭和まで続いていたのを知りましたが、私は地元の知人から富士山信仰について聞いたことはありません。元より知人には板橋出身者がそう多くないし、板橋出身者ですら富士山信仰を知っている人は少ないのでは?と想像します。

つまり今回の特別展は、ある意味では東京という街が近代から現代にかけて大きく変貌したことを物語っている気がします。