メタ認知の働き
わたなべぽん先生のコミックエッセイを二冊続けて読みました。『ダメな自分を認めたら部屋がキレイになりました』(メディアファクトリー、2015年)と『自分を好きになりたい。』(幻冬舎、2018年)です。二冊とも、わたなべ先生が実体験を元に描いたエッセイで、読みやすく、面白かったです。ただし、柔らかく表現されているだけで、その背後には割と重くて暗いものがあったのだろうな、と私は感じました。
『ダメな自分を認めたら部屋がキレイになりました』は、片付けができず、夫と二人でいわゆる「汚部屋」に住んでいる主人公(わたなべ先生本人)が、自分のそういうダメさを受け入れたことにより、少しずつ部屋がキレイに片付いていったという、タイトルの通りの内容です。
本書で主人公の部屋を埋め尽くしていたのは、「持っているだけで安心するもの」でした。先生以外の、すべての汚部屋が同じかどうかは分かりませんが、かつて古書で埋め尽くされ、足の踏み場もないほどだった部屋に住んでいた私も、同じようなものだったと思います。
学歴コンプレックスがあり、知や教養への憧れもあった私は、高価な古書を所有しているだけで自分が教養人になった気がしたものでした。虎の威を借る狐だったのです。しかしこのブログの「蔵書始末記」に書いたように、知への憧れは依然として強いですが、図書館派に切り替えたこともあり、蔵書を大量に処分して環境を変えています。
さて本書で面白かったのは、各章の末尾にある「汚部屋あるある」です。部屋に蜘蛛の巣があるとか、裸足の裏が黒くなるとか、かつての自分も似たようなことがあったので笑ってしまいました。
『自分を好きになりたい。』は、自己肯定感を高めたいと思う主人公が、そのために設定した低いハードルを超え続け、自分を好きになっていく話です。本書には柔らかく表現されていましたが、どうやら主人公(先生)は母親からけっこうキツい虐待を受けていたようです。そういう過去を持つ人の多くは自己肯定感を保ちにくいのだろうと、読んでいて思いました。
『ダメな自分を認めたら部屋がキレイになりました』と共通するのは、主人公が思考回路を含めて自分を客観視し、感じ方と考え方を変え、生活と行動をも変えていったことです。そこにはいわゆる「メタ認知」が働いていたのではないかと私は思います。
メタ認知が働かず、高齢になっても若い頃と同じ過ちを繰り返している人は少なくないと感じます。メタ認知は人生の明暗を大きく分けると思うので、本当は誰もがメタ認知を働かせるべきなのでしょう。けれどもそのためには現実の自分をありのまま受け入れなくてはならず、時に痛みを伴います。わたなべ先生も、上記二冊の漫画ではあくまでコミカルに描かれていましたが、自分を認めるまでには相当な辛さがあったのではないかと思います。