杉本純のブログ

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毒親について

関係の再構築は高難度

9月28日のNHKあさイチ」は、「“毒親”と離れてわかったこと 当事者たちのその後」でした。毒になる親、いわゆる「毒親」という語が知られるようになってから十年が経ち、親と距離を取ったり絶縁したりした人たちの「その後」を取材したもの。私は、毒親めいた人を親に持つ人を知っているので、見ていていろいろと考えさせられました。

番組では『母がしんどい』(KADOKAWA、2020年)の作者である田房永子をはじめ、毒親との関係に苦しんだ複数の人が、親と距離を取ったその後を語っていました。押し並べて、親と距離を取った後に、親という存在を捉え直し、関係の再構築に取り組むという、前向きな行動をとっているようでした。

そういう人たちを見てまず思ったのは、ボケようが死のうが無関心でいるような完全な絶縁まではいかなかったのだな、ということです。また再現映像を含め、親の家の中の様子や服装、話し方や話の内容などから、毒親たちはいずれもある程度の教養がある聡明な人たちであることも、何となく感じ取れました。あのような親なら、子に過干渉していた自分を自覚し、子の苦しみを想像することもできたのではないかと思います。そういう親の子供たちもまた賢明であり、関係の中でルールを設けることや距離の保ち方も心得ていたので、関係の再構築という高難度の行動をとれたのだと思いました。

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メタ認知はいつの世もあったはず

番組には出てきませんでしたが、世の中には悲劇的な結末にいたった毒親とその子も数多く存在しているはず。朝の番組であるからか、やはり明るく前向きな方へ進んだ事例を挙げていたのでしょう。もちろん、人間というのはいくら教養があり聡明でも迷妄に逆らえないことはあるもので、インテリの親子でも悲劇になった例はあるでしょう。

番組では「母親研究」という言葉が出ていました。これは、親をメタ認知し、心理的な距離を取った上でさらに深く理解し、自分自身も心理的に自由になることにつなげていくことだそうです。

私は、毒親めいた知人の親を見て、どうしてこの人はこんなに頑迷固陋なのだろうと考えたことがあります。そして、その毒親の生い立ちを知り、時代や環境から来る影響を想像した時、毒親になってしまったのもある程度、仕方のないことだったのかも知れない、と思いました。それは一種のメタ認知の営みだったのだろうと思います。

番組で紹介された「毒親」とそれをめぐる当事者たちは、「毒親」という言葉の浸透とともに一時的な断絶と距離の確保を経験して、今、メタ認知と関係の再構築をする段階にきているのかな、と思いました。

しかし、その十年の変遷は、言わば一種の「毒親ブーム」の経過に過ぎないのではないか。親子の関係は普遍的なもので、だからいつの世でも毒親と子というのは存在していたのだから、一人一人が人生と生活の中で戦い、あるいはメタ認知をしていたんだろうと、小説を書く私は思います。