杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

自分の頭で考える。

かつては年長者といると落ち着いた

阿部浩一『きまじめでやさしい弱者のための「独立・起業」読本』(インプレス、2021年)を読みました。

「独立」「起業」というキーワードに興味があったため手に取った本でしたが、起業ノウハウについてはあまり触れられていません。本書の「きまじめでやさしい弱者」とは、平たく言えばマイノリティのことで、それに属するだろう人たちの「生き方」の選択として起業を勧める指南書のような内容になっています。やや先鋭的と思われる言辞がところどころに見られ、良書とは思いますが、向き合うには注意が必要だとも感じました。

私は自分がマイノリティだという自覚はありませんが、著者の考えには共感するところが多くあり、面白く読みました。

「4-10 ネットの時代だからこそ紙媒体が効く」に、こんなくだりがあります。

「きまじめでやさしい弱者」には多いですが、私も以前から同年代の人たちよりも、自分の親くらい年齢の離れた人たちの中にいるほうが落ち着くタイプだったせいか、頻繁にメールやサイトのプリントアウトを頼まれたり、紙のパンフレットをもらって来いと言われて、相手先の意識高い系の人たちからウェブカタログを見てくださいと冷たくあしらわれたりといった立場に陥りがちです。

引用全体のことは置いておくとして、その前半部、「親くらい年齢の離れた人たちの中にいるほうが落ち着くタイプだった」は、私は大いに共感します。私の場合、同年代の人たちは浮ついているようにしか見えず、趣味嗜好もほとんど合わないので付き合いづらかったです。一方、年長者は妙に話が合い、一緒にいるのが心地よかった記憶があります。なお、そうした感覚は以前は強かったですが、今はそれほどでもありません。

この点は私と著者の共通項かどうかわかりませんが、どうして年長者といると落ち着くかというと、思うに「関係性が明確であること」に安心を覚えていたのではないか。年長者は基本的に私より上であり、私は下だから、どちらかというと私は従う側になります。それはある意味で、物事をあまり深く考える必要がない、楽な関係なのです。また私は自分より強い、自信に満ちた人に惹かれ、吸い寄せられるように近づき、取り入ろうとするところがありました。年長者は、そういう私に都合の良い存在でもあったのかもしれません。

しかし先に述べたように、今の私にはそういう感覚はないように思います。人間は物事を自分の頭で考えなくてはなりません。