杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

宝か、ゴミか。

遺品整理で達する境地

シニアブロガー・りっつん著『未亡人26年生が教える心地よいひとり暮らし』(扶桑社、2020年)を読んでいます。

本書は還暦を過ぎた未亡人のりっつんさんが「26年間の未亡人としての暮らしと、12年間のひとり暮らし。この時間が教えてくれたことは、実にたくさんあります。本書ではその一端をご紹介できればと思っています」と「はじめに」に書いているように、未亡人の一人暮らしの日々を綴ったエッセイ集。人気ブログ「りっつんブログ」を書籍化したものです。

りっつんさんは夫との死別後、子供たちが独立して50歳で一人暮らしを始めましたが、その当初、家の中を見渡して呆然としたそうな。「ここにある荷物は住んでいない人のものばかり!」と。それから約5年をかけて、家の荷物を半分にしていった。夫の遺品整理に時間と体力を使った結果、「夫の宝は、妻のゴミ」という境地に達したそうです。

上記は「4章 年をとるのも悪くない」の「暮らしの最適化。『夫の宝は、妻のゴミ』」という節にある文章ですが、そのくだりには夫の遺品が具体的に何だったかは書かれていません。わずかに「重さのある機械類」とあるだけです。ゴミの分別には手間取り、作業のたびに懐かしさを通り越して怒りが込み上げてきた、とのことです。

まだ本書をすべて読んでいないので何とも言えませんが、夫はたいそうな趣味人だったのかも、と思いました。とまれ、この断捨離によってりっつんさんはかなり人生を改善したようです。

蔵書はゴミの山?

私は読書生活のスタイルを蔵書派から図書館派に切り替えつつあることもあって、夫の宝は妻にとってはゴミである、という考えに接して、どこか忸怩たる思いを抱きつつ首肯します。

私は珍書奇書を蒐集する趣味はありませんが、蔵書の中には手放したくない大切にしている本が何冊もありました。しかしそれらへの愛着は次第に失せていき、よく確認する資料以外、図書館で借りられるものはどんどん手放していこうと思うに至りました。私が本に抱いていた愛着とは、その本を「持っていること」で自分のグレードが上がる、といった、一種のブランド志向だったと思います。「虎の威を借る狐」みたいな。

ブランド志向は所有欲に結びつきやすく、だから私は蔵書派だったんでしょう。けれども必要ない限り本を所有する必要などないと分かると、宝のように思っていた本は次第にゴミに近づいていきました。まあ「ゴミ」は言い過ぎですが…。

当人がいくら愛惜していても価値観の異なる人にとってはゴミなわけで、りっつんさんは遺品整理に際して怒りがこみ上げたそうですが、私が本をブランド品のように大事にしていたことに家族は往々にして辟易していたでしょう。