自己絶対視
「当店こだわりの味」などの表現はよく見かけますが、この「こだわり」という言葉の本来の意味には、肯定的なニュアンスは無いのだそうです。最近知りました。
細かいところにまで気を使う、という意味は、手元の辞書(学研)によると新しい言い方です。本来は、つまらないことに気持ちがとらわれて、必要以上に気を使ってしまうという意味です。拘泥する、ということですね。
私はかつて私小説的な要素の入った小説を書いた時、自作のテーマがわからないまま執筆を続けていました。何かに突き動かされるように書いていましたが、小説を通して何を表現したいのかわからなかったのです。
小説の内容は、藝術家の夢が破れた青年が、自分を評価しない社会を見下しながら日雇い労働に従事し、事故を起こして大怪我をする、というものでした。そして主人公は最後に、挫折と焦燥と逆恨みの人生を振り返り、自分にこだわっていた愚かさを痛感します。この「こだわり」は、本来の意味の「こだわり」と言えます。
自分にこだわることを「我執」というらしい。これは仏教用語でもあり、自分の内部に恒常不変の実体があると考え執着することを指すそうです。要するに、自分にこだわっている、自分を絶対視している、ということです。
とはいえ、妥協しないことと我執の違いは紙一重である気がします。