杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

場面緘黙と私

静かな衝撃

モリナガアメ『話せない私研究――大人になってわかった場面緘黙との付き合い方』(合同出版、2020年)を読みました。

久しぶりに、これは俺のことが書かれた本じゃないか…!と思った一冊でした。主人公と私の精神状態が重なっていただけでなく、主人公の家族と私の家族が似ている!と感じたため、そう強く思ったのです。主人公と家族のことは同じモリナガ著『かんもくって何なの!?』(合同出版、2017年)に描いてあるようなので、次はそれを読みます。

最近、「HSP」という言葉がよく耳目に触れるようになり、私自身、その傾向があることを自覚しているところですが、本書に描かれた場面緘黙も少なからず実感しています。また、本書には主人公が感覚過敏という特性を持っていることも書かれていて、それって「繊細さん」に近いのでは?と思いました。他にも「音が聞こえづらい時がある」とあり、それに関連してAPDにも言及している箇所もあります。これも私自身、自覚しているところであり、HSPやAPD/LiDの自覚と場面緘黙の自覚は無関係ではない、と思っているところです。

加えて、発達障害にも身に覚えがあります。しかしそれに気づいたのはごく最近のことで、いったい、私は自分という人間をまったく理解できないまま四十年以上も生きてきたのではないか…という静かな衝撃が胸に響いています。

そう。著者のモリナガが場面緘黙を自覚したのはアラサーの頃でしたが、私が上記の特性を自覚し始めたのはアラフォーの頃です。まだまだ生きづらくはあるもののメタ認知やセルフ認知行動療法などが功を奏し、少しずつながら人生は良い方向に進んでいるかもしれないと感じていますが、迷妄に悩まされたこの四十年は一体なんだったんだ!…という、なんともやり切れない絶望的な気分になりそうです。

しかし、過去は変えられないし、今の自分の根拠の大部分は今までの自分にあると思うので、悔やんでも仕方ないのです。今から少しずつ人生を良い方へ変えていけばいいのだ、と考えています。