杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「警鐘」は鳴らない。

人生を変える「警鐘」

ビジネス系ユーチューバーの動画を見ていたら、人生を変える行動を開始するため、その「やる理由」を見つける方法が紹介されていました。

人間、夢や目標を持っていてもなかなか行動に移せず、何かと理由をつけて先延ばしにしがちで、その理由の最たるものが「時間がない」です。動画は、「時間がない」などと言う人は、本当に無いのではなく、単に夢や目標よりも目の前のことの方が優先度が高いだけ、と解説しています。

その上で、行動を開始するためには「(夢や目標への活動を)やる理由」を見つける必要があり、その方法として「警鐘が鳴るまで待つ」と「時間を取って深く考える」が紹介されていました。

前者は平たく言えば、医者から余命何年と言われれば、誰もが死ぬまでにやろうと思っていたことに着手するから、その「余命何年」という警鐘を待つ方法です。しかし警鐘が鳴るというのは抜き差しならない状況に差し掛かるということで、とても辛い状況だと解説されていました。

行動できない理由はない

この「警鐘」について、私は過去に何度か考えたことがありました。劇的な人生を送っている人への憧れから、俺もあの人のような差し迫った状況になればウジウジしている暇なんてなくなって行動を開始するのになぁ、でも俺には毎日変わらない平穏な日々が続いているだけで、そういう切迫した瞬間はやってこないんだよなぁ、と。

私のかつての知人は、貧しい出自から人生を懸命に生きている友人に対し、俺は貧しい環境に生まれたお前が羨ましい、俺にはお前のように自分を突き動かす環境的な要因がなかった、などと言ったそうで、知人はそれで友人と喧嘩になったらしいです。知人の言い方は友人に失礼だと思いますが、私は知人からそのエピソードを聞いた時、少し共感したものでした。

自分を劇的な行動に駆り立てる環境的要因がある、つまり「警鐘」の鳴っている人生を送る人。そんな人が、私はある意味で羨ましい。大病を患うことなく、性格も大人しいので人と強烈に衝突することもない私は、ここでいう「警鐘」とは無縁のような人生です。もし何らかの「警鐘」が鳴れば、行動を開始することを余儀なくされ、その過程は小説などの恰好の題材になるのにな、などと思うのですが、「警鐘」はいっこうに鳴りません。どうして俺の人生は平凡なんだと、自分と自分の境遇を恨んだりもしたものでした。

しかし、そのような何かのせいにする考え方は間違いなのです。hide with Spread Beaverの「ROCKET DIVE」には「何にもないってこと。そりゃあ何でもアリってこと」というフレーズがありますが、その通りなのです。「警鐘」が鳴らないなら、それは何の制限も制約もないということなのだから、逆に何でもやればいい。欲望の赴くまま、何かを求めて行動を開始すればいい。

もちろん、だからといっていきなり社会人としてのあらゆる責任を抛り出していい、というわけではありません。社会生活を営みながらも、なお目標に向かってゆっくり進むのは、難しいかもしれないが不可能ではないということです。

行動できない理由はありません。