杉本純のブログ

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達人のサイエンス

達人の境地=マスタリー

ジョージ・レナード『達人のサイエンス』(日本教文社、1994年)をところどころ拾い読みしているのですが、これがやたら興味深いです。

本書はひと言でいえば、「熟達すること」についてあらゆる角度から述べたもので、人の人生のあらゆる局面に「達人になる道」が存在していることを説いたものと思います。

「はじめに」を読むと、本書の内容は「エスクァイア」誌で1984年から毎年5月号に連載された「究極のフィットネス」の、4年目にあたる1987年5月号での特集が、その原案のようなものだったことがわかります。

本書では「達人の境地」のことを「マスタリー」と書いています。そこへ至るための道の歩み方、途中で挫けないための方法、道の途中にある思いがけない落とし穴、などなどがキレのいい文章で綴られていて、冒頭に書いたようにとても興味深いものがあります。

道は一人で歩くもの

私は、「道」というものは世界に偏在していると考えていて、いかなる物事であれ、それに「意識的になった」その時点から人は道を歩み始めているのだと考えています。スポーツが上手になるのはそのスポーツを意識的に行い、楽しみ、継続しているからであって、やめれば腕が落ちる。しかし、またどこかで再開した時、当人はまたその道に戻ってきたのであり、戻ってくるまでの間に経験し身につけた知識や感覚が、その道を歩む力になるばかりか、歩き方にも新たな視点をもたらす。

道は偏在しているが、それぞれ際限なく奥深く続いているもので、たしか谷崎潤一郎が、小説家の道は一つの山を越えたと思ったら次の山が見えてくる、といった具合に終わりがないものです。いうなれば「奥の細道」であり、藝術の分野はもちろんのこと、もっと雑多な仕事、例えばトイレ掃除でも新聞配達でも皿洗いでも、意識的にそれをやり始めればそこには奥深い道があるわけです。それは本書における「道」とほとんど同じものだと私は思います。

私の考えでは、その道を正しく歩くルールのようなものはなく、先に述べたように一度外れたとしてもまた戻ってくることができます。本書はたぶん、道を歩くルールではなくうまく歩くためのコツや勘所を教えるものだろうと感じました。

ついでに言うと、上にルールはないと書きましたが、実際には一つだけ、ルールがあると思っています。それは「道は一人で歩かなくてはならない」というもので、同じ種類の道を師匠や仲間や弟子が歩くことはあるでしょうが、自分が歩いている道にいるのは自分だけだけなのです。