杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

HSPと非HSP

グラデーションで境目はない

高田明和『「敏感すぎて苦しい」がたちまち解決する本』(廣済堂出版、2017年)を、ざっと読みました。いわゆるHSP=とても敏感な人向けに書かれた自己啓発本で、すでに類書は多く出ています。ざっと目を通しましたが内容がかなりライトで、類書をいくつか読んでいればもうほとんど得るものはないですな。

とはいえ頷かされるところもいくつか。敏感な人(HSP)はミラーニューロンの働きが活発で、相手の感情をよく感じ取り、再現してしまう一面があって、自分と他人の課題を切り分けられない、などは確かにそうかも知れないと思いました。また、HSPが「刷り込み」をされている傾向があり、思い込みが強い、というのも、そうだと思ったものです。

ただ最近思うのは、いったいHSPと非HSPの境目は何だろう、ということです。HSP関連書はかなり読みましたし、HSPの本を出す出版社のオウンドメディア記事のアンケートに答えたりして、いろいろと考える機会がありましたが、HSPがその高い感度でキャッチするものを、非HSPがまったくキャッチできないとは思えません。

絵や音楽や美しい景色などに「深く」感動する、というHSPあるあるは、非HSPには一切ないのか。非HSPだって深く感動することは、もちろんあるでしょう。そもそも藝術作品に「深く」感動できるかどうかは感性よりも教養に負うところが大きいと私は思っていて、いま一つ飲み込めないのです。

私は色んなHSP本を読んでチェックリストをやってみた結果、自分はHSPだろうと思いましたが、もしかしたら、ストレスなどで精神的に参っていて、繊弱になっている状態なら誰でもHSPの特徴を示すかもしれない、とさえ考えています。

まあ、まだHSPについての私の理解が浅いだけかも知れませんが、そもそもアーロン先生の提唱する概念そのものが通俗心理学に過ぎないと見る傾向もあるそうです。以前、ダイバーシティをテーマに人の話を聞いた時「性はグラデーション」という言葉を聞きました。つまりレズやゲイとそうでない人との境目は明確でなく、グラデーションのように変化している、ということで、私はこれに納得しました。きっとHSPと非HSPの境目も同じようにグラデーションなのではないかと考えています。