杉本純のブログ

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「深い会話」と「表面的な会話」

半分以上の会話は表面的で良い?

先日もこのブログに書いたイルセ・サン『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2016年)ですが、「『鈍感な人たち』とうまく付きあうには」という、タイトルと同じく身も蓋もない書き方の章に、面白い箇所がありました。

「時と場合に応じて『深い会話』と『表面的な会話』を使い分ける」という節なのですが、HSPは表面的な内容の会話に耐えるのが難しいものの、自身の心身の状態に応じて相手との会話の深度を変えるといい、とあり、その方法も例示されています。

それを平たく言えば、会話を一般論と個別具体的な話のどちらかに進めていく、というもので、なるほどその考え方なら会話の方向をうまく調整できるかもしれないと思いました。

私自身、会話でつまずくことが多くあります。それらを振り返ると、本書の言っていることがおおよそ当てはまる気がする。つまり、私は恐らくHSPなのですが、どうも個別具体的な深い話をしようとし過ぎる傾向があり、一般論で片付く軽い会話を求めている相手と合わず、なおかつひどく疲れてしまうことがけっこうあるです。また、たまにはその逆もあったりします。表面的に対応していたら、相手はもっと深い内容の対話を求めていた、というような。思うに、私と他人では、深刻に捉えるべき事柄とどうでもいい軽い事柄が逆であることが多いようなのです。

要するに、その会話は一般論で進めていいのか、深く具体的に話すべきなのか、ということで、本書を読んで、半分以上の会話は前者で進めてしまって良いんじゃないかな、と感じました。

どうでもいいことですが、この本のことをネットで検索すると、著者名が「イルサ・セン」と間違えているものがけっこう見つかります。