野呂邦暢の警告
ここ数日、感想記事を書いている文藝春秋編『無名時代の私』(文春文庫、1995年)ですが、このブログで3年近く前にも記事にしていました。佐木隆三の「長い長いトンネル」にあった「病膏肓に入る」について書いたのです。
今回また「長い長いトンネル」を読み、野口冨士男や吉村昭と同様、感銘を受けます。やはり作家を目指すには、どこでどんなことをしても構わないけれど、書くことだけは続けないといかんのだ、と思います。
面白かったのは、冒頭、佐木が八幡製鉄所で働いていたところから上京するところ。
いったん東京へ出て、“都落ち”した人は九州に少なくない。諫早市に住む故・野呂邦暢さんからは、「東京時代の屈辱は忘れられぬが、君に覚悟はできているか」と、手紙で警告を受けた。
とあります。その後、佐木は芥川賞候補、直木賞候補にもなりますが、子が二人いた家庭が崩壊し、あえなく「都落ち」します。
書き続けるのは容易じゃない
面白いのはこの「都落ち」で、私は映画学校への入学が決まって上京する際(神奈川ですが)、伯母に「東京へ出るならよほど強い意志がないと駄目よ」といった意味のことを言われたのと覚えています。映画学校には北海道から沖縄まで、文字通り全国から(海外からも)学生が集まっていましたが、その後「都落ち」した者は少なくありません。
良くも悪くも誘惑の多い東京で、意志を曲げずに物書きを続けるのは、容易なことではありません。
さて、手紙で警告した野呂はその後、芥川賞を受賞しました。そう考えると、東京よりも地方に住む方が静かで安定した生活を送ることができ、良い作品を書けていいじゃないか、と思ったりもします。まぁ時代がかなり違いますが…。