ある小説家のことを根掘り葉掘り調べている。いつか何らかの作品にまとめることになると思うが、今はその小説家の事績をなるべく多く集めているところで、『文藝年鑑』を渉猟中である。
これまでもその小説家の単行本、文庫の類いを読み、雑誌にのみ出ている文章だったら大宅壮一文庫で調べ、新聞への寄稿なら縮刷版に当たってきた。過去の文藝誌にも当たっているのは言うまでもない。グーグル検索もするし、ciniiでも検索する。すでに詳細な年譜があるので、その一行一行をつぶすようにやっているのだ。
それでも穴があるかも知れない、既存の年譜にない事績があるかも知れないと、過去の『文藝年鑑』をその小説家の活動期間に絞って一冊ずつ舐めるように読んでいる。
私がやっているのは、まぁ文学研究の真似事だと思っているが、研究というのはこういう、ネットを含む世のあらゆる情報を渉猟して、事実をひたすら収集することなのだ。もちろん、小説家といえど、ネットに出ておらず、『文藝年鑑』にも出ていない事実は大量にあるわけで、『文藝年鑑』を渉猟し終えたら仕事が終わるわけではない。また、存命かつ現役の作家なので、いつどこの地方の新聞や雑誌などにひょいと文章が出るか分からない。いや、たとえ死んだって、遺族が資料を整理していたら未発表作品が出てきたとか、書簡が発掘されたとか、あるかも知れない。
かように、どれだけ資料を渉猟しても渉猟し尽くせるというものではなく、それが研究の大変さであり辛さでもあるかも知れないと思う。