杉本純のブログ

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選択と責任

シド・フィールド『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』(安藤紘平、加藤正人、小林美也子、山本俊亮訳、フィルムアート社、2009年)はタイトルの通り、映画脚本を書く人がするべき仕事について述べた本。

この本でフィールドは、脚本を書くためにはまずテーマ(主題)が必要であると述べる。誰が(キャラクター)、どんな行動をとる(アクション)ストーリーであるのか。これを数行で述べられるようにしようと。それは、自分が何を書こうとしているのかを知るうえでとても重要であるという。

 脚本家は、ストーリーを進めるにあたり、ドラマの展開を決定するが、その際の選択とそれへの責任を負うことになる。選択と責任。この二つは、本書の全体を通じて、繰り返し言及している。創造するための決定は、選択によって行われなければならない。けっして、行きあたりばったりで、生半可に決断してはいけない。いくつかの選択肢の中から、もっともすぐれたものに決定されるべきなのだ。

 衝動に駆られて脚本を書き始めたものの、何を書いてよいか分からない経験がよくあるだろう。そこで、主題を探し始める。主題を探し始めると、主題もあなたを探すようになる。

創作する上で「選択」を意識したことはあったが、「責任」について意識したことはほとんどなかったかもしれない。キャラクターが取る行動を選んだら、ストーリーはその方向に進んでいくのだから、その方向での展開を描かなくてはならない。当然のことだが、そういうのを「責任」と考えたことはなかった。

私は以前このブログで、主題はストーリーを進ませる上でのコンパスだと述べたことがあるが、引用後半も含め、フィールドの言及を読むと、まさに主題はコンパスではないかと思う。「主題もあなたを探すようになる」とは、作品づくりを進めるうちに、主題を深く理解しているかどうかを作品が作者に問うてくる、ということだ。作者は、そこできちんと答えられなければ、選択に対し責任を取れないことになる。