杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

創作雑記26 高尚な主題の是非

新しい小説を構想している時、乗り越えるのが難しく、構想の進捗を停滞させる障害物に必ず出くわす。その小説の主題は「高尚」であるかどうか、という課題だ。

主題は小説に深みを与え、読者の感動を深くする効果があるが、私はこれまで、読者の心の最奥部を打つような、ややもすると読者の価値観を丸ごと覆すほどの、深い哲学に裏付けられた、いわゆる「高尚な」主題を求めていたように思う。

例えば、藝術系の学生が就職する過程を描いた小説に、私は「自分の服喪」という主題を設定した。自意識過剰の自分に現実を受け入れさせようとする主人公の行動は、肥大したセルフイメージを埋葬し、しばらくのあいだ慎ましく過ごすという点で、服喪に通ずるものがあると思ったからだ。「自分の服喪」という語を思いついた時は、我ながら良い主題を発見したものだと思った。

そんな風に、主題を「高尚」なものにしようとすることは、小説を書く姿勢として、取り敢えず望ましいと思う。小説を単なるいっときの娯楽とするのではなく、読者の心に残るような作品にしたいとする意識は書き手として大切だと思うからだ。

一方でそれは、色んなものを奪ってしまう気もする。主題を深めようとするのはけっこうな時間がかかると思うが、それだと主題に対応させるべきストーリーの方向性がなかなか固まらない。下手をすると、主題が気にくわないからということでストーリー自体も抛棄することになりかねない。つまり「書く」機会が大幅になくなってしまうのだ。

すでに人気があるベテラン作家ならそれでもいいかも知れないが、実績もない人の場合はとにかく書かなくては文字通り「話にならない」ので、主題の追求もほどほどにしておく方が賢明である気がする。