TBSのドラマ「ドラゴン桜」は最終回を迎えたが、何回か前は岩崎という、元はバドミントン部のエースだった東大志望生が、日本ユニシスの夏季のバドミントンの練習に参加して東大の勉強がおろそかになってしまい、阿部寛扮する桜木先生から東大受験専門クラスの「クビ」を宣告される、という回だった。ところが岩崎は、どうしても東大に行きたいと言い、桜木と対話する。岩崎は東大に向けて勉強していることを親に話しておらず、強化練習に参加するよう親から言われたのも、つまり親は東大受験のことなど知らないからなのだった。親に言わない背後には、自分をバドミントン選手にするため一生懸命になって時間とお金を捧げてくれたことへの感謝やら、申し訳なさがある。
桜木はそんな岩崎に、お前は優しい、と言い、しかしそれは本当の優しさじゃない、といったことを言う。岩崎が親に対し、自分が親が原因で苦しんでいることを言っていないからだ。親というのはある種の化け物で、東大に行くことを理解してくれないなら縁を切る覚悟で伝える必要がある、といったことを桜木は言う。そして岩崎は親に対し、「縁を切る」と実際に口にして東大に行くことを訴え、親に不本意ながら認められる形になる。
この「理解してくれないなら縁を切る」というのはとても重要で、テレビを見ていて、グッときた。親に限らず、身近なところにいる縁者というのは、自分のことを愛してくれているようで、実は支配していることがある。愛というのはたいてい条件つきで、無償の愛というのはなかなかないのである。
その呪縛から抜け出るには、ひとまず言葉で意志を伝える必要があり、それで駄目なら、相手との縁を切るしかない。自分の意志で人生を切り開くには、それくらいの覚悟が必要なのだろう。
私自身のことを振り返ると、私の考えを理解してくれない人に対し、絶縁めいた言動をとったことが数回ある。すると不思議なことに、相手は途端に私に対し優しくなり、どうか縁を切らないでくれ、というような態度を取り始めたのだ。