杉本純のブログ

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本には書かなかったあとがき3『藝術青年』

小説集『藝術青年』に収録した二篇「映画青年」と「焦げてゆく記憶」は、前者は最近ある文学新人賞に応募し落選した作品、後者は九年ほど前に所属していた同人誌に発表した作品です。

いずれも、学校で映画を学び、将来は藝術家として生きることを志す若者――藝術青年を主人公にしたもので、思い通りにいかない現実とどう折り合いをつけるか、という悩みをテーマにしています。

「焦げてゆく記憶」の設定は2011年で、作中の木造アパート火災はその時期に実際に起きており、小説はその事件を元に書きました。そして「映画青年」は2004年末の設定としており、当時も実際に川崎市多摩区エリアに読み物的タウン誌が存在していました。『藝術青年』は二作とも私自身の体験を元に書いており、特に「映画青年」の方はその傾向が強い、いわゆる「私小説」として大切にしている作品です。

もちろん私小説だからといって面白いわけではなく、私が大切にしていたって読者も大切にしてくれるとは限りません。「焦げてゆく記憶」は同人誌発表時にさしたる反応を得られず、「映画青年」は新人賞の一次選考も通過できませんでした。

主人公の内部にアイデンティティに関わる葛藤が起きているだけの、決して劇的とはいえない話。ディーン・R・クーンツは「自己再認識」を動機とする小説は避けた方がいい、と述べていますが、その言に従えば、『藝術青年』は二作とも書くのを避けた方がよかった作品といえるかも知れません。一方、石塚友二「松風」のような、主人公が結婚するまでの、さして劇的でもない経緯を書いた小説があり、私はこれが好きだということもあって、主人公がただ学校を卒業していくまでを描いた「映画青年」は、個人的に気に入っています。

まぁそれとて結局は自己満足に過ぎないわけで、小説を多くの人に読んでもらおうとするなら、それでは甘すぎるというもんでしょう。「焦げてゆく記憶」と「映画青年」は執筆時期に約十年の開きがある作品ですが、つまりは私はその間、ずっと同じテーマの小説を考えていたということです…。

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この「あとがき」は、もともと書籍に収録する予定はなく、『藝術青年』発表に合わせてブログ用記事として書いたものである。