杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

麻痺の代償

大原扁理『年収90万円でハッピーライフ』(ちくま文庫、2019年)は、内容はタイトルの通りなのだが、良書かどうか、判断が難しい本である。一つの考え方・生き方としてユニークな気がするが、この本にあることを本気で参考しようとすると、難しいところがけっこうある。

さて、またもや共感する部分があった。ちと長いが、引用する。

都内に住んでいたときは家賃が高すぎて、いくつもアルバイトをかけもちしなければなりませんでした。週に1日も休みがないくらい忙しかった。当時働いていたお店なんて、忙しすぎておかしくなってて、毎日誰かがキレながら仕事してました。出勤簿の登録を忘れただけで「どういうことか説明しろ!」って殴り書きのメモが貼ってあるんです。こえーこえー。常に怒りの粒子が空気中に漂ってて、誰かの見えない暴力にさらされているような感じだった。アルバイトの大学生の子たちはミスともいえないようなミスでも怒られまくって、どんどん辞めていっちゃうし。最終的に7人で回していたレジに、わたしを含めて3人しかいなくなっちゃった。単純計算して倍以上の仕事しても時給変わんない……もう、しんどかったー。だから、しんどくないことにしました。無理やり頭でねじ伏せたんですね。こういうときって、ある程度やれば出来ちゃうからコワイです。
 いじめられていたときもそうだったけど、何も感じないことにしたほうが、その場は圧倒的にラクなんです。だけど、これを続けていくと、物事は見えないところから壊れていくんだなあ、と思ったことがありました。

私自身、これはこういうもんなんだ、と「無理やり頭でねじ伏せ」て、「何も感じないことにした」、つまり自分の内部のある感覚を麻痺させた、ということが実体験としてある(具体的には書かないが、私自身はそれが「麻痺」だと自覚していた。その意味で、まだ軽度のものだろう)。だが、そのように表面意識ではスルーしているものの確実に心身への影響は出ているようで、いろんなところに不調が出てくるのだ。一時的なものかと最初は思うが、次第に見過ごしがたいものになってくる。やはり肉体は正直である。

改善できればいいが、すぐにはできない場合が多い。それで色々と悩むものの、考えてみると、環境が変化を続ける中で他人と関わりながら生き、働くことは、ある程度は確実に心身を蝕むだろう…などとも思ってしまう。

これはもう「壮大なる諦め」とも言うべき極論で、人生そういうもんだと言ってしまえば話は終了である。そういう面があるのは確かだが、危機を感じるような不調などが出てきたら、やはり改善していく方が良いだろうと思う。