杉本純のブログ

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佐伯一麦と「蟠竜」

伊達政宗は、一国一城令がありながら領地内に仙台城とは別の城を築いた。「若林城」という、幕府には「屋敷」ということで建造の許可を取った城である。その中にはクロマツが植えられていて、これは現在では樹齢が推定三百年を超えているらしい。松は後年、その形状から、土井晩翠によって「蟠龍の松」と名付けられた。「蟠龍(ばんりゅう)」とは、地面にうずくまってまだ天に昇らない竜という意味である。

そんな事実を知った時、私は佐伯一麦を思い浮かべたのである。

若林城明治12年に刑務所「宮城集治監」になり、後に宮城刑務所になって現在に至っている。佐伯一麦の初期の私小説には、主人公が刑務所の付近の家々に新聞を配達する様子を描いた作品がある。佐伯自身、実際にその場所で新聞配達をしていた経験があるのは、佐伯の随筆などから分かる。佐伯は「蟠龍の松」の近くで仕事をしていたのである。

さらに佐伯は後年、上京し、高田馬場の、フリーライターが集まる会社で働くことになる。その会社の名前が「蟠竜社」である。

佐伯はその社名について、「腹に一物抱えたそれぞれのメンバー達が、高田馬場のマンションの一室に集い、雌伏のときを過ごした蟠竜社とは、正に梁山泊であったと、今にしてつくづく思う」(『蜘蛛の巣アンテナ』(講談社、1998年(初出は河北新報1993年9月30日)))と言っているが、仙台の新聞配達時代には「蟠龍の松」との接近があったのである。

佐伯の青春時代は「蟠竜」と縁があった。たったそれだけのことだが、面白い符合である気がする。