杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

言わずに言う

学生時代に書いたシナリオの書籍化に取り組んでいる。当時の作品を読むと、テーマといい技術といい、あまりに未熟でダメだったなぁと恥ずかしくなる。それでいて当時の私は、自分は一流の藝術家になるんだとか考えていたのだから、もう笑うしかない。

中で、これは明らかにダメなところだなと思ったのは、登場人物が自分の思考や気持ちをべらべらしゃべってしまっているところだ。説明してしまっているのである。シナリオは映画の設計図なので、うれしいとか悲しいとか、映画の見どころになる部分を明記する必要はない。逆に、人物の動作や、何気ない台詞を通して読み手に感情が伝わるよう書くことで、俳優が演技に力が入り、監督も演出に凝ることができるというもの。映画は、やはり基本的には映像でものごとを語るべきなのだ。

たしかスピルバーグが映画を学ぶ若い人に語った言葉の中に、音を消して映画を観てみるといい、本当に優れた映画は音がなくても内容が分かるし、感動する、といったものがあったと記憶している。その通りだと思う。つまり、気持ちを直接に言ってしまうようなシナリオは優れておらず、アクションなり表情で伝えられるようストーリーを仕組んだものが優れている、ということではないか。

私は、「表現」とは「言わずに言う」だと思っている。